体験談・・・高校留学

 

 

 

○タスマニア州公立高校留学の締め切りは2019年7月20日までに延長されました。

○ニュージーランド公立高校体験留学の締め切りは、目下の床と変更なく、6月15日です。

○アメリカ高校正規留学の説明会を開催しています。 予約下さい。 担当: 阿部 高一

○FSIではアメリカ・カナダの公立・私立高校留学説明会を、 2018年の高校施設訪問・視察に基づく最新の情報に基づき開催しています。 ご予約下さい。

○アイルランド高校正規留学は、高校側の受け入れが公的に完備される方向にあります。 アイルランド留学は、英語圏ではより留学しやすい環境になります。 詳しくは追ってHPにて連絡します。

  あのBrExitの影響でしょうか、今、アイルランドの留学の人気が上昇! アイルランド大使館もこの機を 繊細一遇のチャンスとして、アジアからの留学生にターゲットをあてているようです。

 

 

※最新の更新情報及び行事・イヴェント情報は一番下にあります

 

 

コピー―留学体験者の意見を

 

 

 

 

 

標語ー更新中

 

 

 

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見出し春休み体験留学 窓―留学の真実―写真

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私の留学体験記

 

 

中田Yさん

体験談ーーアメリカに住んでいただけで英語ができるようになるのか?

157

本一樹君

音楽野違い ー 音楽の評価は人生の評価と一緒。

根本的な違いを感じた。私の留学しているIdaho州にある高校。

150

谷口宏君

カウンセラーの体験談  卒業アルバムから

毎年、各高校で発行されるYear Book。それは一生の思い出になる。

153

中村賢拓君

アメリカ合衆国アイダホ州GSAA高校卒業。

州都Boiseのdowntownは閑散として、何にもなかった。えらいいところに来てしまった、が実感。 アイダホはポテトで有名はうそ。これは日本でしか通じない。

ホストファミリーと 250x130

白井洋子さん

オーストラリア、Queensland州のCP高校へ留学。

「郷に入らば郷に従え」に疲れてしまった私、その解決策は・・・・・

卒業.170x170png

山本健介君

カナダ、British Columbia州の公立高校へ留学。

2年で高校卒業しなければ、のプレッシャー。でも「卒業」は「始まり」だった。

rafiting山湖

藤崎ひとみさん - ニュージーランド、QueenstownにあるC高校に留

「こんな田舎へ来てしまった。どうしよう。」から「先ず受け入れる、其れから批判のプラス思考に切り替えた。

早朝の授業―遅刻するな!

狩田美 - ミネソタ州クリスチャン系M高校に留学。 「自分を変える」という自覚で私は変わった。気持ち次第 TOEFL-iBT 82でネラスカ州の大学入学

高橋里子

高橋里子2009年、アメリカ合衆国、カリフォルニア州にある都会派の高校に留。 留学先で夕方、夕日を見ると涙がひとりでにこぼれた。でも今、それもいい思い出に。

DAA-あさか

横山みどり ― 2011年、カナダ、アルバータ州にある高校に留学

子育てが終わったなら、カナダを再度訪問し、“もー勉(猛勉強の意味。)したい。”

ホームページー留学ー写真ー提案―素案3

鈴木雄介 - アメリカ合衆国、アイダホ州にある高校に留学。州都 Bozemand を一望に見渡せる。 これが国際派だ、を実感!

Vancouverでーカナダ留学

2013年、カナダ、バンクーバーの高校へ留学

夢を実現。留学はこんなにも自分を熱くする

蛇

村上 薫君 ― アメリカ合衆国コロラド州の高校に留学。

「日本の高校へはもう行かない」と決心。 コロラド州の自然にびっくり。 2年で卒業できた

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高木麻里絵さん - ニュージーランド、Palmerston Northにある高校。

音楽会でのピアノ演奏が私を変えた。 「カップめん」から学んだこと

 

相楽 良. - カナダ、Vancouver地区にある高

「自信」が付き、「勇気」が湧いてくる。ポップコーンを食べると、なぜか胸が熱くなる

体験談―AK-英語がうまくならない

A. K. - オーストラリア、Brisbane学区にある高

留学しても英語がうまくならない。 どうして? 直さない、気を遣う英語の先生たち。 勇気を出してJudyに頼んだこと

留学―NZ-授業風景

高野良人君ニュージーランドPalmerston Northクリスチャン高校

「今、英語を話しているなー」って感じています。友達から Study Lamp を借りて徹夜した。・・・ 初めての経験。

グラウンド―広い―オーストラリア

坂井 仁 - オーストラリア、QueenslandBoondallにある高

いつもまにか「筋骨隆々」の身体に。 ふと気づくと、英語で考えていることがある

広井キャンパス―緑の芝生

山田徳子さん オーストラリア Queensland州Daisy Hillにある高校

「過去の成績ではなく、これからに対するあなたの姿勢・やる気を一番評価します」 これで私は救われ

ホームページー留学ー仲間たちー2

中村美由紀さんアメリカ合衆国ノースダコタ州のDA高校からカリフォルニア州のSCDS高校

食事のときも英語の辞書をひいた。 春夏冬休みにも日本に帰らなかった。

英吾が聴けたー驚き!

佐藤圭吾君アメリカ合衆国ミネソタ州HutchinsonにあるM

これが国際派!風邪の熱が下がった朝、英語が全部聞えるようになった。

日本史は世界史の一部、教師顔負けの知識を披露。

 

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留学は合同作業 タスマニア州高校視察―最新 留学先の選び方―最新 国別留学プログラム―最新
カナダBC州―公立高校視察 体験談―最新2 留学準ぴプログラム―最新2 帰国子女―最新
留学Q&A-最新2 日本人の英語―留学―最新 冒険の復活―最新 留学相談会ー予約―最新2
行きたい国 なぜ今留学か? 春休み―体験留学  

 

キャッチフレーズ-勇気ある決断

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業ということ

 

山田健介君

カナダBritish Columbia州の公立高校へ留学

2年で高校卒業のプレッシャー、でも「卒業は始まり」に過ぎなかった

 

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「卒業」というものははるか遠いところにあると僕は思っていました。

僕は高校に二年を中退し、カナダの高校へ留学することにしました。こう書くと、すすんでカナダ留学を選んだと思われそうですが、そうではなく、勉強でも生活でも僕はかなりの劣等生だったので、なんとかそれをばん回したいと思ったのが留学のきっかけでした。

 

私の留学は英語の学習から始まった。聴講生から英語学校へ。

4月から6月まで、British Columbia州の私立高校にAuditor 聴講生として入学させてもらい、英語に慣れることから始めるようにと言われていました。 ESLの英語はなんとか授業に付いていけたのですが, Pre-calculus 11, Social Studies 11, Information Technology 11は全く付いて行けませんでした。 だから、聴講生ですが、ESL以外の学科のほとんどの教科がI (Incomplete 評価外)の評価でした。7月・8月は9月から登録する公立高校の学区からのすすめで Vancouver にある英語学校で学びました。 会話や文法のクラスは簡単すぎてレベルを上げたいと思ったのですが、基本的な英語力を身に付けるため文句を言わずに、初歩的な会話術から基本的な文法事項などに取り組みました。 この英語学校で2か月間学んで良かったことは、14歳から26歳まで、様々な生徒や学生に会えたことです。 特に、Saudi Arabia や Malaysiaから来ていた生徒と仲良くなり、お互いの住まい (もちろん、host familyの家) を尋ねるほどになったことです。 私にとってかけがえのない経験でした。

 

そして9月、私の挑戦 - 2年で卒業が条件

ー1250x170校舎みんなで熱心指導 250x170

 

僕には日にちがありませんでした。 カナダの公立高校は19歳以上の高校生が登録することができません。私は2年で高校を卒業しなければなりませんでした。2015年―16年度が始まり、僕は何とかGrade 12に登録されました。 履修科目の中で、Graduation Transition という科目が必修としてあり、ヴォランテイアワークや街にある会社や店へ行き仕事を手伝うことが20時間あって、その帰りに同級生とスタバに入り話をしました。その時、友人のPatrickがcommencementという言葉を口にしました。 「それ何?」と訊き返したところ、「卒業」の言う意味だと言いました。早速、ゴーゴル辞書で調べたところ、最初に「始まり」の意味がありましたが、下へ降ろしていくと、又、「卒業」の意味でもあることがわかりました。 通常、卒業というと「graduation」で表現されます。 それが「commencement」という「始まり」の意味の言葉でも表されることは私にとって大発見でした。 Patrickのところはクリスチャンの家庭で、卒業というとこのcommencementを使っていたのです。 卒業するということは次のステップ (大学や就職)の「始まり」であるわけです。僕は感心しました。

 

ホッケイ場 250x170jpg食堂 250x170図書館250x170

 

僕のcommencementは・・・

それからこのcommencementという言葉が頭から離れませんでした。 そして、私のcommencementはこの6月で、何とか頑張ってカナダの高校を卒業(始まる)ことができるというところまで来ました。 9月から、私の生活は、アメリカ合衆国、Rhode Island州のJohnson and Wales Universityから始まります。そこで、Hotel Management and Hospitalityを学びます。高校生になったころは少しも考えなかったのですが、今、私の家の仕事の関係でこの大学を選び、何とか入学許可証をもらったのです。 調べたところ、この大学が所有する博物館に、1700年代からの部屋の調度品や調理器具や厨房が展示されていていることがわかり、今から楽しみにしています。

 

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白井洋子さん

オーストラリア、Queensland州のCP高校へ留学。

「郷に入らば郷に従え」に疲れてしまった私、その解決策は・・・・・

 

郷に入らば四に従え。

 

ホストファミリーと 250x130

オーストラリアに決めた。

私はオーストラリアのQueensland州のCP高校に留学しています。

留学先を選ぶとき、どの国にするか迷いました。 学年を落とすことなく、それにESOL English for Speaker of Other Language にも参加できるので、オーストラリアの高校に決めました。二月に出発。Brisbaneの空港に到着し入国の手続きをした後、眠い目をこすりながら外へ出たとき、一斉に蝉しぐれの音に見舞われました。 近くの木にいた蝉を捕まえてみました。にげないので、簡単に捕まったのでびっくり。 日本の蝉より小ぶりで羽には透明感がありました。いっぺんに目が覚めました。 車でホストファミリーの自宅まで行き、そして、次の日から授業というハードなスケジュールでした。

ホストファミリー―竹内ESL-1250x170

 

「郷に入らば郷に従え」When in Rome, do as the Romans do

私が考えていたことは、FSIのカウンセラーの方から言われた「郷に入らば郷に従え」When in Rome, do as the Romans do.のこと。これは、私にとって、すべてのことが初めての体験になるので、とにかく現地の生活に慣れて従うことだけをしていればうまくいく、と考えていたわけです。

例えば、

○授業が終了すると、次の授業の教室まで移動すること。(日本では、先生が移動してきてくれる)

○食事のときは、左手にフォーク、右手にナイフを持ち、音を立てないようにする。(日本では、右手にフォークを持ちはしのように使う)

○シャワーは必ず、朝、浴びること (日本では、夜、風呂に入っていた)

○ロッカールームのロッカーの中、皆、かなりいろいろなものが入っていてガチャガチャ(日本では、どのロッカーの中も整理整頓されていた)

とにかく慣れることが第一と心がけていました。

校舎250x170Host family 250x170

 

やっと帰国できる! そう考えたらどーっと疲れが。

このようにして、無我夢中で毎日を過ごしてきたのですが、さすがに10月頃になって疲れがどーっと出てきました。 ○ゆっくりと風呂に入りたいな! ○お腹いっぱいになるまでマグロの寿司を食べたい! ○英語ではなく日本語で、言いたいことを思いっきり言いたい! など

やっと12月になって、これで日本に帰国できる、と考えたとき、いてもたってもいられなくなりました。 そして12月17日、成田へ向け出発。 疲れもピークに達していたようです。 日本に着いたあとは、2日休んでから、友達と渋谷で会って、時間を忘れていろいろな話をしました。 12月23日、中学時代からの友人の「イララ」がひょっこり尋ねてきました。 ひとしきり話をして、紅茶を飲み始めたとき、イララは「洋子は英語がうまくなったね。 でもあまりしゃべらなくなった」と言いました。 イララは、インドネシア人の父と日本人の母の家庭の生徒で、私と同級生です。 それで、私は、あの「郷に入らば郷に従え」に従ってやってきたが、大分疲れてしまったことを述べました。 そしたら、イララは、

「留学って大変ね。 でも、このようにしてみたら。」

 

イララから学んだこと―郷に入らば四に従え!

イララの提案とは「郷に入らば四に従え」ということでした。 これはどういう意味か? 詳しく尋ねたところ次のようなことでした。 「郷」(五)全部に従うのではなく、自分がこれは絶対に譲れないことを決めて、それ以外には従う、これを「四に従う」ということだということ。 イララは付け加えて私に言いました。 私たちは、イスラム教なので、豚肉を食べない、一日に5回お祈りをする、右手で (左手ではなく) 食事をする、これらは絶対に譲れないこと、でも、そのほかのことは日本の習慣に従っている、ということだったのです。

ベッドと部屋青果売り場で250x170

 

これで私は楽になった!

わたしはこの「郷に入らば四に従え」を行ってみることにしました。 1月終わりにオーストラリアに戻ったとき、ホストマザーの Mrs. Gallandに頼んでみました。

「自分は、疲れがとれるので、夜、シャワーを浴びたい(風呂に入りたい)、これが日本での習慣になっている」 Mrs. Gallandは理解してくれ、OKとなりました。 又、学校でも、カウンセラーの 国際学級のMrs. Gillespieに訴えました。 彼女からは、英語がまだ完ぺきにできていないので部活は控えるように、と言われていたのです。 それを、彼女の部屋に行き、「私の好きなテニスをすることがストレス解消にもなって勉強もできるようになります」と言ったところ、

「You’re right.  OK.」ということになりました。

 

私はこれですべてうまく行くとは思っていませんでしたが、いろいろなことに積極的に挑戦できるようになったし、又、自信が湧いてきたように感じています。 このまま Year 12 に進めたら、大学はSydney かMelbourneにある大学に行きたいと思っています。

体育の授業―テニス 250x160ESL-3

 

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藤崎ひとみさん

ニュージーランド、QueenstownにあるC高校に留学

「こんな田舎へ来てしまった。どうしよう。」から「先ず受け入れる」「プラス思考のすすめ」に切り替えた。

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「こんな田舎へ来てしまってどうしよう」 これが私の最初の印象でした。なにせ、見渡す限り牧場。牛、牛、羊、羊、緑、緑、圧巻だったのは。 牧場? それも鹿の牧場。りっぱな角を立てた牡の鹿。それがボスだと、Queenstownから車で引率していただいたMrs. Grantが説明してくれました。 なんでも、シカの肉をヨーロッパの人は好むそうで、みな輸出の為らしいということは言葉の端々から何とかわかりました。 彼女が車を止めてくれたので、外に出ところ、方角を定めようと、太陽が登ってい方向に目を向けました。 態様があるのは南ではなく北だから、そう、北から東へかけて低い山並みが広がっている、そんな景色が広がっていたのが今でも思い出します。。 なんと、あのMel Gibsonが出る映画に出てくるような景色でした。 「ああ私はなんて田舎に来てしまったのだろう。」 最初はこんな思いでした。

大きな木のある公園横断歩道―生徒が管理

大分違う生活。乗り切れたのは「それもありか?」の積極思考。

C高校は、ホームステイではなく、ニュージーランドでは珍しい寮生活なので,最初はかなり要領が違い面食らってしまいました。

「シャワー室」の広さにまずびっくり。シャワーの区切りのビニールが破れているに気が付きました。でも誰も指摘しない。それもありか?

シャワーを浴びているとき、誰かがこっそり入ってきて「タオルを」持って行ってしまったのです。

憤慨して、そのことを後で寮長の方に行ったところ、「Someone is interested in you? 」よくよく聞いたら、新人の生徒が来るとよくあるそうで、なにかと注意を引こうとして色々な事をやるのだそうだそうです。「でも悪気はない」とのことだった。 それもありか?

食事、それも聞いてはいた、「ベジタリアン」なのです。 肉は出ないということでした。 でも、食堂では、フランクフルトソーセージや厚みのあるベーコンも出たのです。よくよく聞いたところ、材料は肉ではなく大豆だそうです。 でも、なかなか味は良く食べられる。

寮の受付coin-operated machine食事は楽し

「先ず受け入れる」「プラス思考のすすめ」

こんなわけで、何もかもが初めての経験でした。それも経験、これも経験と考えていたら、いつの間にかすべてのことをプラス思考で考えることが自然とできるようになっていたのです。留学する前、カウンセラーの方と話をしたとき「『たくましさ』が身に付くわよ」、といわれましたが、その「たくましさ」とはこれだったのかと思わず指を鳴らす自分がいました。

最初の年、Year 11が終了し、日本に帰国し、そして再び、Queenstownに戻る2月初旬、このC高校へ行くのが待ち遠しくて仕方がなかったのです。 これには、自分自身で驚きました。 それまで、田舎の良家のお嬢様、と見られていた私でした。 それが、いまや母よりもたくましく、そして、頼り甲斐のある女性に変身したと感じています。 私は留学できたのは、気持ちの切り替えがあったからだと思っています。 Do as the Romans do. つまり、郷に入らば郷に従え。 ニュージーランドへ留学したのだから、C高校に留学したのだから、その生活・ルール・文化全部吸収しよう、そんな積極思考をすることにしたのです。

相手の人や気に入らない先生や生徒を非難し否定するのは簡単です。それより、その前にまずその相手の人を理解し、そしてその人の良さを吸収すること。 この精神が大切だと思います。 批判はその後でも十分できるのですから。

rafitingの後の食事カウンセリング 昼休みrafiting山湖

NCEA Level 3合格が目標!

私は今、Year 13に入り、今年はNCEAのLevel 3の試験を受けなければなりません。 Internalはなんとかなると思うのですが、Externalはきつい。 カウンセラーの Ms. McRoryからは、英語ができなければLevel 3 をスキップしてもかまわないとは言われています。 でも、スキップしたら、今度は帰国子女入試で不利になるのは間違いありません。 だから、きつくても、Level 3 に合格することを目標にしています。

 

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狩田美和さん

 

ミネソタ州クリスチャン系M高校に留学。

「自分を変える」という自覚で私は変わった。気持ち次第。

TOEFL-iBT 82でネブラスカ州の大学入学。

 

 

日本では中高一貫校に通っていたが、高校一年の春、留学を考えるようになった。高校の担任と校長先生は、「このまま成績優秀で行けば国立大学にも入れるのに、どうして今、留学なの?」とたたみ掛けるように反対してきた。私は、なかなかその理由を説明できずにいたが、両親は、私の決心が堅いことから、その面談の後、あっさり「そのようにしなさい」と言ってくれた。そして、ミネソタ州のクリスチャン系M高校に入学し、何とか卒業。今は、ネブラスカ州のクリスチャン系の大学に通っている。

授業中はリラックス 教師に助けてもらった

留学の初めのころ-ルームメイトに涙を見られぬように毛布をかぶった

留学の初めのころ、寮生活をはじめたとき、毎日、夕方になると、いま、日本は何時ころか?と時計を見ながら14時間 (時差が14時間)逆算し、日本での日々を思い出すのが日課となっていた。いつもさびしかった。 ルームメイト (アメリカ人)に涙を見られないように、疲れたふりをして毛布をかぶってベッドに横になった。そのときに、自分のやってきた事をいろいろと考えた。「こんな田舎へ来て、どうしたらよいのだろうか。 牧場が見える広い土地、白と茶色の牛が遠くに点々と見えている。こんなところで過ごして、このままでは自分はもたない。どうしたらよいのか?」全く明るくは考えられなかった。

列を乱すなroommateは一生の友

 

牧場、茶と白の牛がいつも見える生活、これでいいのか?

二カ月後、大分寒くなってきた頃だった。 「牧場が、牛が、毎日、高校から見える、この生活でよいのか? 続けられるのか?」 この時が私のギリギリの時だった。 母に言おう、もう耐えられない、と。 それで、母に電話をした。 だいぶ待たされたが、廊下を走ってきた音が聞こえた、「みっちゃん。元気?」母の元気な声が聞えた。 母は息が少し切れていた。「大分寒くなったでしょうね。 母さん期待してるんだ。 あなたが、変わって、帰ってくるのを。」

私は考えた。「『変わって』ってどういう意味? 母は私に何を期待しているのか?」 その時、私は言い出せなかった。「もう留学をやめて日本へ帰りたい」とは言えなかった。

それで、母は、私が何が言いたいのかよく分からなかったのだろう、「あら,何か、特別用事があったんじゃない?」と言ってきた。 それに対して、私は「別に、ちょっと声が聞きたくなっただけ」と答えて話を終わりにした。

清掃は自分たちでやる皆の笑顔が一番

 

私は変わった!

old picture-13卒業生は誇りだ

電話を切ってから、私は考えた。「自分の周りが変わらないのだから、自分を変えるしかない。周りは変わらないものだと固く考えてしまっていた。 でも、自分が変われば周りも変わる。自分の周りを見る目や視点が変わるからだ。そうすれば周りも変わる。」 そんな風に、自分を「変えるべき」だと考えた。そうしたら、すっと気持ちが軽くなった。 こんなにも変わるものかと、自分でも驚いた。自分自身を変えればよいのだ。 少し長くなったが、このように考え方を変えて、そして、私は立ち直った。ルームメイトからも「 You’ve changed, Miwa.  You look so great!  Why?」それから3年間、私は必死で英語に取り組んだ。TOEFL-iBT 82になった。 そして、英語力不足の生徒用の英語コースを取ることなく大学へ進むことが出来た。それでも、弱い私の支えとなっていたのは、「夏休みには日本へ帰れる。日本にもどれば家族に会える」でした。 この点では、まだまだ「弱い」と思っている。

今は、少し強くなったのだろうか、アメリカに住むようになろうと、日本にもどろうと、どちらでも構わないという気になっている。少しは、たくましくなったか?

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高橋里子

2009年、アメリカ合衆国、カリフォルニア州にある都会派の高校に留学

留学先で夕方、夕日を見ると涙がひとりでにこぼれた。でも今、それもいい思い出に。


高橋里子

 

日本の高校に入学したが、学校の指導方針や他の生徒と折り合いが付かず、アメリカ高校留学を決意。

カリフォルニア州のクリスチャンの高校を卒業し、現在、ネブラスカ州、私立クリスチャン系の大学に通っている。
英語は得意(とくい)な科目ではなかったが、高校卒業までにTOEFL-iBT 70点を突破(とっぱ)するようになった。

涙が止まらない毎日

留学の初めのころ、毎日夕日を見ると、ひとりでに涙が出てとまらなくなりました。 
そうすると必ず、アメリカ人の友達や寮のスタッフや科目の先生がやってきて、歌を歌ってくれたり、話をしてくれたり、励ましてくれました。

そんな皆のおかげで何とかこれまでやってゆけるようになりました。
感謝しています。

実は告白するとこのような涙、涙の状態が翌年の5月まで続いたのでした。

私の留学は涙とアメリカ人の友人のおかげ
だから、今だから言えるのですが、私の留学成功の秘密は、この涙の夕日の克服(こくふく)にあったようです。 
克服できたのは、なによりも優しいの友人達(何が優しいなのかを言うのは難しいですが)が私の周りにたくさんいてくれたから。このように、学校を選ぶのは、近代的な設備や施設の大きさで選ぶのではなく、その学校の生徒で選ばなければならない、と思っています。夕日―体験談

 

(感想)
フレンドシップは、厚い心の生徒達のいるこの高校を高橋さんへ紹介できたことを誇りに
思っています。フレンドシップは各学校の生の情報を伝えます。
(これはフレンドシップの信念です。フレンドシップの宣伝になってしまいました。ごめ~ん。)

 

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鈴木雄介

アメリカ合衆国、アイダホ州にある高校に留学秀才―男.州都 Bozemand を一望に見渡せる。
これが国際派だ、を実感!

 

 

有名な受験校に入学はしたものの

首都圏でも有数(ゆうすう)の受験高校に入学。 5月になって、自分の将来になにか満足できないものを感じた。 そんな思いを抱えながら、それでも夏休み前までは通った。

しかし、高校二年の夏、考えるところあってアメリカ高校留学を考えた。
まじめに、受験勉強にも耐えてきた。そんな僕を、フレンドシップは、アメリカ合衆国アイダホ州にある高校に推薦してくれた。

クリスチャンの高校で、派手ではないがまじめに勉強したい僕に合っていると判断したとのこと。

英語漬けの毎日!

寮制の高校だったので、授業が終了し寮に戻っても英語、英語の生活。

早速(さっそく)、9月の新学期から留学。

それが功(こう)を奏(そう)して、半年もたたないうちに英語をマスターし、
やっとのことで授業でも困らない英語力を身に付けた。 
子供のころから念願であったバイオリンの個人教授も受けた。 
二年間で卒業。

高校生紳士録 Who’s who に名前が載った!

卒業の年には、アメリカ合衆国の成績優秀な生徒に与えられる栄誉(えいよ)、高校生の紳士録 Who’s whoにも載った。

だから、大学での授業料の奨学金(しょうがくきん)ももらえるほどになった。
世界史 World Historyの授業では、日本を含むアジアの歴史のところで、担当の教師の先生をさしおいて、「鈴木君に教えてもらいたいです」などと、(冗談だと思いますが)僕を名指しする生徒も出るほど。
教師は苦笑い。 
卒業式で、学校長、Mr. M. Bowersとガッチリと握手。 
その抱擁は今でも忘れない。

(感想)
鈴木君の話は、えーっ、本当なの?と疑ってもおかしくない話。しかしこれは実話。  
鈴木君は、卒業後、奨学金をもらえるアメリカではなく、なんとスイスに渡り、専門大学でホテル・マネジメント(ホテル経営学)を専攻。二年後に、優秀な成績で卒業。
その後日本へ帰国し、コンピューター・ソフト、IT関連のベンチャー企業を立ち上げた。
そしてホテルマネジメントのためのソフトを開発。(よくやるね!)
そのソフトを持って、再度アメリカ合衆国に渡り各有名ホテルを回りビジネス活動を行っている。 
現在24才

 

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DAA-あさか

横山みどり

2011年、カナダ、アルバータ州にある高校に留学

子育てが終わったなら、カナダを再度訪問し、“もー勉(猛勉強の意味たい。)したい。”

 

 

何せ、留学のした当時は、My name is Yo―ko―ya ma―Mi―・・. 
(マイネイムイズ、ヨーーーーー)とさえなかなか言えなかった。

その私がなぜ、現地の生活に溶(と)け込み、現地の生徒と交流を深めることができただろうか。

ジェルミ- Jeremie から攻撃?

2学期 (2nd semester……1月)の初め
I really hate you, Midori!(Midori、わたしはおまえがきらいだよ!)と言って、よってきたのはジャルミー Jeremie。 
ジェルミーはどちらかというとみんなのきらわれ者。

顔立ちは、不良っぽく、髪(かみ)は縮(ちじ)れて赤毛。
私の首をつかんで手を掛(か)け引き倒そうとしていた。 
もちろん、本気ではなく、こちらからから見ていると私の関心を引きたくてそんな行動にでたとわかるようなしぐさ。 
そして私も同じく、 I hate you, too! (私も嫌いよ!) と返した。

カナダ人の生徒のうちの一人と実感

でも二人とも顔は笑っていた。周りにいたカナダ人の生徒も、笑ってみている。
ああ、私は完全にカナダ人生徒の中に溶け込んでいるな、カナダ人生徒達の間で one of them 一人の仲間と見られているな、と感じた。
実に、私はすでにカナダ人の生徒のうちの一人だった。

English の先生、Mrs. Siepman の言葉

私を一番かわいがってくれたのが、国語担当のMrs. Siepman (manと書きますが女性です)。
Mrs. Siepmanは、「Midoriは気持ちの深いところでカナダ人の生徒達と交流している。
他の留学生とはだいぶ違う扱いを受けているようね」と言っていた。気持ちの深いところでのカナダ人友人たちとの交流、これが私の留学だった。

卒業後、日本へ帰国。そして、神戸にある外語大学に入学。大学を卒業。そして、今は一児の母。 
育児のかたわら、英会話スクールで日本人生徒を指導(しどう)。子育てが終わったなら、カナダを再度訪問し、“もー勉(猛勉強の意味)”したい。

(感想)
この生徒ほど理想的な高校留学を果たした生徒はいない。
留学当初から、アメリカ高校の生活になれ、各教師からも気に入られ、卒業の学年では、トップを争うほどになった。
でも、そうなる為にはだいぶ努力をしました。

 

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阿部歩積君

2013年、カナダ、バンクーバーの高校へ留学。

夢を実現。留学はこんなにも自分を熱くする。

Vancouverでーカナダ留学

 

留学は私の夢だった。

私は幼いころから”留学”というもの、そのものに憧れていた。 2013年、私は”フレンドシップ留学専門指導センター”に出会い、幼い頃からの夢が現実となった。

いよいよカナダ。緊張の連続

2013年4月6日、両親と成田国際空港でわかれ、Air Canada Line のフライトに搭乗。 英語が飛び合う機内。 私は今までにないような緊張感のなかにあった。 機内ではあまり眠れなかった。 半分、寝ながら、前の年の11月に Vancouver の高校を訪問した時のことを思い出していた。 校庭に舞い降りてエサをついばむ鴨の群れ、熱気を感じた演劇の授業、怖かった China Town,など。 そして、バンクーバー国際空港に 着くと右も左もわからぬまま、Immigration に突入。 係官から、”For studying?  “ との質問。   私は、まったく答えられぬまま時は過ぎていった。 でも、なんとか、奇跡的に Immigration を通り抜けられたようだ。

体験談―歩積―Vancouver市内体験談―阿部歩積―高校は郊外の丘体験談―阿部歩積―陽気なカナデイアン体験談―阿部歩積―街並から体験談―阿部歩積―家庭科の授業体験談―阿部歩積ーこんなのあり?

Immigrationを何とか通過したが、その後が大変だった。

私は、次に、Sky Train に乗らなければならない。 切符はどのようにして買うの? どこから乗ればいいのか? どこで乗り換えるのか? 何とか克服。、そして Waterfron 駅で下車、バスに乗り換えなければならなかった。 何番のバス? 乗り場はどこ? お腹が空いたが、なにか食べるものはないか。 もう地に足がついていない。 でも、”新たな家族”となるホームステイ先へと向かわなければならない。 必死だった。 初めてのホーストファミリーの家、緊張の塊と化している私はベルを鳴らし、そしてドアへと手を掛けた。 次の瞬間、私が見たものは”温かい家族”だった。 温かい家族に迎え入れられる、それも留学の醍醐味であろう。 そして今、私はこの家族に囲まれながら楽しい学校生活を送っている。 日本にはない学校風景、楽しい友達、全てが斬新かつ刺激的な生活。 ここまでを振り返って、私は留学という道を選択して本当に良かったと思っている。 これを読んでいるあなたへ、留学というものに目を向けてみてはどうだろうか。

留学はこんなに自分を熱くする

私は大げさに表現する方だが、でも、この留学の最初の日々を思い出すと今でも胸が熱くなる。 こんなに心臓がなり、こんなに緊張したことがあっただろうか。 留学とは、こんなにも、自分を熱くするものなのだ。

 

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佐藤圭吾君

アメリカ合衆国ミネソタ州HutchinsonにあるM高校

これが国際派!風邪の熱が下がった朝、英語が全部聞えるようになった。

日本史は世界史の一部、教師顔負けの知識を披露。

卒業式-涙涙涙

 

日本の受験校に入学 - これでよいのか?

首都圏でも有数の受験校、S中学高等学校に入学した。 しかし、高校一年の時、思うところあってアメリカ高校留学を決意。そこで、フレンドシップを両親と一緒に訪ねた。 カウンセラーは男の人だった。「受験勉強にも耐えてきた」ということで、ミネソタ州のクリスチャン系M高校を推薦された。ずっと後で言われたことだが、「派手ではないが地道に勉強する佐藤君に合っている」と判断した、とのことだった。

 

 

会話が弾む―カフェテリアでミネソタ州、寮制、男女共学、全部初めて

9月の新学期から渡米。 男女共学で、寮制の高校だった。 授業が終了するのが大体、午後3時。 寮に戻っても、当たり前のことだが、英語、英語の生活だった。 寮の中の生活は忙しい。部屋をかたず桁里、コインランドリーで選択楚したり、も意の周りのことをする。そうすると、5時を過ぎてしまい、もう職位の時間。Cafeteriaに行きみなと食事。 終了して戻ると、寮の中でミーテイング。(多分、クリスチャンの高校なので、しょっちゅうミーテイングがある) 終了すると、Study Hour. つまり、宿題や予習復習をする時間というわけ。8時半、再びミーテイング。10時には消灯が告げられる。11時まで起きている生徒は申し出て、許可をもらわなければならない。

 

 

英吾が聴けたー驚き!熱が下がったある朝、突然、英語が聴けるようになった。

でも、そのような生活のおかげで半年後、忘れられないことを経験した。

それは、翌年の4月だったと思うが、風邪で寝ていてやっとベッドから起き上がった日の朝だった。 それまで雑音にしか聞こえなかった人の話す英語が、寮長の低音の声、Mikeのよく通る声、寮長の子どもの特有の甲高い声、それが全部、すっきりと聞えて来たのだ。病み上がりの「ぼーっ」とした頭だったが、それは僕にとって強烈な印象だった。英語が聴けるようになったのだ。それまでは、話されても半分わかればよかった。 体育館やホールのような広いところで集会や表彰式の話をされても雑音にしか聞こえなかった。 それが、100%ではないが、少なくとも90%以上、分かるようになった。 こんなことこれまでになかった。 嬉しかった。 それからは、僕の生活は画期的に変わった。 それからは、英語で困ることはなくなった。 だから、これから留学する後輩に言いたい。 特に、なかなか英語が上達しないと感じている人に言いたいのだが、英語は突然、聞えるようになる、ということだ。 僕の経験からすると。 だから、あきらめないでほしい。 努力していれば必ず上達する、僕が保証する。

 

 

世界史の授業 - 日本の歴史はKeigo が教える!

世界史 World Historyの授業。 課題は「日本の明治時代」の近代史だった。 誰かが「Keigo (圭吾)teaches us!」と言った。 この冗談には教師のMr. Bredanも苦笑した。 僕も笑ってしまった。

「日本史を、僕が、教える!」 Mr. Bredanは心の大きな人で、あの独特の両手を上げるポーズをしていた。顔は笑っていた。 これも私の思い出となった。

 

 

僕の進路

大学についてだが、僕の家は料理店をしているので、大学はロードアイランド州にあるJW大学にするつもりだ。 高校で大学入試の説明会があった。 JW大学の入試担当の人もやってきて、その人と話をした。それで、決めた。スイスの大学とJW大学は提携しているので、スイスでも勉強できるとのことだった。 それで、決心した。

 

 

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高野良人君

ニュージーランドのPalmerston North

クリスチャンの高校に留学した2

 

 

 

FSIからひとこと:

この手紙はちょっと長めでした。長くても、この手紙を読めば現地の状況がよくわかること、そして留学することで高野君がいろいろなことを考えるようになり進歩したことがすごくわかること。これらの理由から、長くなりますが、そのまま記載しました。ご理解下さい。

 

Hello from New Zealand!

Dear Friendship、                                                     28th March

 

 

「英語の波」の意味

もうここに来て、28日になります。まだ授業のほうはよく解りません。特に、Geographyなんか自分だけ取り残されている感じで、惨めな毎日です。だけど来てすぐの時よりも自分は英語を話しているなーと今は感じています。ちょっと聞き取れるようになったので、英語の担当教師 Mrs. Whiteから、阿部先生(FSIのカウンセラー)が言ったように、英語の波となっていない(言葉をぽつぽつ切るのではなく、一つの流れとしての文の意味)といわれました。少人数授業風景美術の授業カヌーの練習

 

 

図書館png徹夜 (てつや)をした。

自分は発音も悪いから、よく友達に直してもらっています。 発音は、とても難しいです。28日しかたっていないけど、何かが変わったと自分は思います。日本にいたときは、勉強を少しもやってなかったのに、今では、勉強を大いにやる気になっています。

この前、ESOLのTestがあったのですが、前の日なんか、友達から、電気スタンドをかりて、徹夜をしました。Testの解答はまだ返してもらっていないけど、いい出来だと思います。

 

 

 

 

 

Chapel worship servicesこんな風景がMs. Young - ESL teacher

 

楽しい生活―馬-人の手からもらって食べる、感動。

とても学校生活は楽しいです。こんな大自然の中で勉強やれて、幸せです。Saturdayに、Mikeと、学校近辺を、歩いたのですが、川もあるし、とても気持ちよかったです。行く途中に、馬がいたんですけど、人の手から餌をもらって食べるのですよ。これも感動。なんでも、新しいことがいっぱいあって、本当にこれてよかった。もし、だれか、New Zealandに行きたいということがあったら、是非このことを話してください。お金なんかぜんぜん使う必要がない。Townに行っても、遊ぶところなんかほとんどないし、物価は安いし、治安も日本よりもいい。こんないい国ないです。もう心は、日本人じゃなくて、New Zealand人です。友達はたくさんできたし、gymに行って、皆と一緒に、スポーツをして、とても健康です。 今週ですね、ROTRUAとAUCKLANDに行くんですよ。うらやましいでしょう。

 

話は、変わりますけど、最初に来た手紙、中1で自殺した生徒(皆さん知っている“いじめ”で自殺した生徒)のこと、考えたんですけど、いじめは、New Zealandでは考えられない話だと思う。自分が思うには、New Zealandの高校生は、みんな年齢に関係なく、とても仲がいい。日本では先輩、後輩の差がはっきりしているので権力争いがあって、そこで、弱い者と強い者ができて、そこで、いじめにつながっていくと思う。前いた中学・高校でもいじめはあったと思う。絶対、先輩には、はむかえなかった。だけど、ここでは、気楽に、話せるし、冗談やったりしている。日本では、いじめの問題は、多分ずっと続く。日本の学校の状況が変わらない限り、なくならない。日本って、権力争いが多いかと思うと、情けない。

 

今、日本で何が起きてきるのか、全然解らないので、情報ください。

12月に帰って行くまで、一段と大人になって帰って行きます。だけど今、自分がやらないといけないのは、英語を覚えて、話せるようになることです。

また、何か、あったら、手紙書きますので.

 

Take very very good care of yourself. Your letters always makes me so happy.

Goodbye for now!   Yosito

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村上 薫君

アメリカ合衆国コロラド州の高校に留学。

日本の高校へはもう行かない」と決心。 コロラド州の自然にびっくり。 2年で卒業できた。

 

 

真剣な眼差しDenverの街並み-Oil city

 

日本の高校へは行かない。では、どこへ?

私の場合、最初から前途多難な留学だった。「日本の高校へはもう行かない。」 その頃の私はわがままだった。 父は高校の教師をしていたので、世間はなにかと「息子さんは優秀でしょうね」という目で私を見ていた。 それが嫌だった。 私は普通の活動をしているつもりなのだが、「自由に振る舞い過ぎる」とのことで、高校からしばしば注意を受けた。 そのたびに、父と母が高校へ呼び出されていた。 でも、私は、今でも、自由に振る舞い過ぎたとは思っていない。

グランドから眺めた校舎授業風景-理科

 

コロラド州の高校から許可証が

そんなわけで心機一転、アメリカコロラド州のCアカデミーへ入学を申し込んだ。 留学カウンセラーの方から、許可証については、「この成績だから五分五分じゃない」と言われていた。 英語と数学はまあまあ。国語も何とか合格。音楽は、将来を託したいと考えていたので一番良かった。 しかし、日本史、生物、体育、家庭科、美術、・・・ これらが良くない。テストは、何とか友達からきいたりしてなんとかなったが、授業で担任の先生に反発したり、提出物を出さなかったり、結果は悲惨だった。 コロラド州のCアカデミーから、それでも何とか許可証を得ることが出来た。 ヴィザ申請も通って、晴れてCアカデミーの生徒となることが出来た。

 

(注意)アカデミー Academyは、専門学校や予備校を指すのではなく、私立のクリスチャン系高校を指す。

食事は楽し蛇ー全長2M

 

高校の環境に驚いた! 勉強には最適?

デンバー Denverの空港に着き、そこから車で約一時間のところにCアカデミーとこれから寝食を共にする寮はあった。 とにかく、生活は、東京の都会生活とはまるで正反対。 自然環境がすごい。ロッキー山脈のふもと、ちょっと奥へ入ると「蛇」「コヨーテ」が出るし、又、「クマ」もでるとのこと。 又、天候もすごい。 春になると、一日の中で、晴れ、豪雨、雪、霰(あられ)、そしてまた晴れ、一時間ごとに猫の目の様に替わる大陸性気候。 傘は、風が強いので持っていても使えない。 冬は、ちょっとスクールバスで出かけるともうスキーのゲレンデ、おかげで、スキーができるようになった。

寮―部屋の中ーいつもこんなにきれい?友と語らう

 

優等生ではなかった - 警告 Warning もあった。 でも、卒業。

とにかく、毎日が忙しかった。 無駄なことをかんがえる暇がないので、勉学には理想的だった。 毎日が忙しかったからだ。 ぼーっとしている時間が全くないのだ。 これは経験したことがなかった。 成績はというと、破天荒な気候と同じで、English 11で“A”を取ったかと思うと、保健 Healthは再履修。 そして、こんなこともあった。 門限までに戻らないことがあって、日本の親の元に知らせられたのだ。 実は、これには理由があって、ホームリーブHome Leave の帰宅がしばしば遅れたせいなのだ。 ホームリーブというのは1カ月半に一回、週末を利用して生徒達が自分の家に戻ること。 ところが、私の場合、そのたびに日本に戻ることが出来なかったので、その時、友人や知り合いのところに滞在、すなわち Homestayすることになったのだ。 そして、決められた日にちと時間までに寮に戻らなければならないのが規則。 ホームリーブからの帰り、高校から車で20分ぐらいのところにshopping mallがあったので、ときどきそこで降ろしてもらい、そこで、買い物をしたからだ。 shopping mall から高校の寮までは速足で歩いても1時間半はかかった。 それで、遅れてしまったことがしばしばあったからだ。 それで、警告 Warningとなったわけ。 でもなんとか、予定通り、2年で卒業できた。 これには、友人達や先生方に感謝している。 卒業後はボールダー Boulderにあるコミュニテイカレッジに先ず入学し、そしてその後、コロラド州立大学に編入することができた。 とにかく大学に行っていた2年間は、高校と違って、Work, Work, Workの毎日だった。 高校時代の3倍は勉強したように思う。

今、好きな音楽のビジネスで、英語を活かした仕事をするのを目標に励んでいる。

学校長ですkey boardの操作速く

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高木麻里絵さん

ニュージーランド、Palmerston Northにある高校。

音楽会でのピアノ演奏が私を変えた。 「カップめん」から学んだこと

old picture-9高木麻里絵

 

私はピアノですくわれた。

私はピアノが弾けたので、留学先の高校での演奏会がMusic Hall であったので、それにピアノ演奏で参加させてもらいました。留学してすぐに、少しいじめにあっていたのですが、音楽の先生の Mrs. Henderson に相談したところ、「演奏会に出てみては」と誘われ、また「友人もできるのでは」とも言われたので参加できるようになったのです。 それから私は変わりました。音楽を通して友人もできました。

 

私の発見ー音楽は自分で作るもの

私には発見がありました。 現地の生徒が、ヴァイオリンでもピアノでも、なにか演奏するそのやり方が、私が日本でやってきたのとはまるで違っているのです。どんなに音程が外れても、どんなにメロデイーがおかしくなっても、自分の演奏が終了すると、必ず、満面の笑みを顔に浮かべて聴いている人から拍手をおねだりします。これには私もびっくりしました。 少しでも間違ったなら、私だったら、恥ずかしくて、一刻も早く演壇を降りようとしたはず。 日本の場合、先生から教わった通り、楽譜(がくふ)に忠実に弾けて、先ず自分自身が満足します。そして聴衆から拍手をもらおうとします。 私には、この日本で慣れてきたやり方が「受け身」の演奏だったとつくづく感じました。 それに比べて、このニュージーランドの仲間たちは何とおおらかなのでしょう。 はっきり言って、明らかにリズムや音程も外れ、指も動かないで、音楽になっていないのに。 これは「考え方」が違うのだ、とつくづく感じました。 へたでも自分の音楽をつくkる、そして皆の前で自分のその音楽を出し切る、ということなのだと、私は理解しました。 こんなことを、わざわざ書くとおかしいとは思いましたが、これが私の留学で一番衝撃的なことだったのであえて、書きました。

演奏前の静寂練習が終わって

 

 

 

私はメンタルな面で強くなった。

どちらかというと、それまで地元の生徒の「こころ」を理解できないでいた私に、この体験は衝撃的で、これを機に、大分、積極的に地元の生徒と接することができるようになり、メンタルな面で楽になりました。 ピアノのレッスンは週2回、高校の指導ブースに地元の音楽家の方が来てくれて、続けることが出来ました。

ホストファミリーは、夫婦どちらも学校の先生で、しつけがとても厳しい家庭でした。早寝早起きは当たりまえ。 料理はインド料理が好きで、何にでもカレー粉が入っていました。慣れてしまってからは美味しく食べられるようになりました。

NZ-授業風景NZ-写真

カップメンと生たまご

ひとつ失敗談があります。それは、日本から送ってもらったカップメンを食べた時です。私はいっそうおいしく食べようと思い、カップメンの口を切って、その中に冷蔵庫から取り出した「生たまご」を割って入れ、そして熱湯を注いだのです。それを見ていたホストマザー。“Crazy!”と言ったのです。

そんな食べ方は気持ちが悪く見たことがない、とのことでした。それ以来、私は、カップメンに生たまごを入れるのをやめました。 とても、おいしいはずなのに。 「カップメンと生たまご」、私にとっては当たり前のことなのですが、生活習慣の違う人々にとってそれはチョー奇妙に映ったのでしょう。 私は、この「カップメンと生たまご」からもいろいろと考えさせられました。

留学しなければこんな経験はなかったはずですし、とにかく衝撃的なことばかりでした。

カップめんと生卵kayakking―水は冷たい

 

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毎日が忙しいー留学生活山田徳子さん

オーストラリア Queensland州 DaisyHillにある高校

「過去の成績ではなく、此れからに対するあなたの姿勢・やる気を一番評価します。」 これで私は救われた

 

両親が一番心配した。 でも、私も入学許可証が来るまでは寝付かれなかった。

「他の神戸の高校に入る気になれない!」って担任の先生に言ったところ、「お前なんか移れる高校はない!」と担任から言われたので頭にきました。 「そんなら、そんな日本の高校に入ってやるか!自分で見つける。」と鷹(たか)をくくったのはいいが、ではほかにどのような道があるのか?

そんなわけで、母親と一緒に、新幹線で東京に来て、何軒か回ってFSIに相談しに行きました。 成績はというと、お世辞でもよいとはいえませんでした。 主要五科目は内申点で何とか真ん中の『3』だったのですが、残りの4科目が悪い。体育、美術、音楽、技術家庭。 これらの科目では、学校の定期試験の成績よりも提出物や宿題、それに授業での態度が問題だったからです。 こんな成績で受け入れてくれる海外の高校があるのかな?と心配になりました。 両親のほうがもっと心配していたようです。 後で分かったのですが。 そして、FSIがすすめてくれたオーストラリアのJ高校へ入学申請しました。 この成績で。 だから、J高校から返事が来るまでは、なかなか眠れない夜が続きました。 夜中、必ず目を覚ますと、それからが寝付けません。 朝まで、うつらうつら。 そして、待ちに待った返事が返ってきました。 正直言って驚きました。

 

広井キャンパス―緑の芝生ついに入学許可証が - 驚きと感動

「私ちは、これまでのあなたの成績と態度を参考までに評価しますが、それよりも、あなたがなぜ私たちのJ高校を選んだのか、これからの学校生活に対しあなたがどのように臨もうとしているのか、すなわち過去の成績ではなく、これからに対するあなたの姿勢・やる気を一番評価します」との事だった。 つまり、日本の高校の場合、今までどうしてきたか(過去の実績)で評価するが、J高校は『その生徒がこれから何をしようとしているのか』(将来に対する意欲)に注目する、と書いてきたとFSIのカウンセラーの方から説明を受けたときは感動しました。 電話を切ってからも、そのことをずっと考え続けていました。 何か自分を取り戻したような、そんな気がしました。 そのとき、私は、「水が合う」と思ったのです。

そして、入学許可証がとどきました。 入学許可証を手にしたとき、涙が出ました。 それからは忙しかったです。 健康診断、Private Informationの完成、オリエンテーション、などなど。

そして正月明けの1月5日に渡豪。 飛行機の中ではそれほど感じなかったのですが、Brisbane 国際空港を出てから次第に実感がわいてきました。 「来たんだ、とうとう来たんだ!」 寝不足の頭でも、新しいところに来て感動している自分がよく分かりました。 車を運転してくれている国際学級のAssistantの方が、何かしきりに喋っていますが、英語がわからないのと、感動しているのとで、何が何だかわからずにいるうちに Host Familyの家に到着。 でも、胸が弾むこの感動は今でも、忘れられません。

次の月曜日、登録と授業の最初の日でした。 この日から英語の集中コースを履修。 周りは、ドイツ人、中国人、マレーシア人、韓国人など。 ESOLは夏休みと、正規の学期の1Termだけ出席しましたが、今は本科へ入り、将来は技術系にすすみたいので工業コースへ行けるコースを履修中です。 私は、卒業後は、オーストラリアに残りTAFEに編入学するのか、それとも日本に帰国し帰国子女枠で大学入試に挑戦するか。 どちらにしろ、私は日本での高校生活を拒否したので、そんな自分の立場でしか選べない道を選択したいと思っています。

グラウンド―広い―オーストラリア次の授業待ち

 

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中村美由紀さん

アメリカ合衆国ノースダコタ州のDA高校からカリフォルニア州のSCDS高校へ

食事のときも英語の辞書をひいた。春夏冬休みにも日本に帰らなかった。

友人達校舎-大地png

まるで宇宙基地の様だ!

高校一年の春、アメリカ高校留学を決意しました。 初めは、ノースダコタ州のDA高校に在籍し、その高校では、ESLの授業があったのです。 名前がドイツ系のMrs. Goldsteinという校長先生夫妻が中心になって教えてくれました。 5月から8月まで、英語、英語の毎日。5月末から8月末までは夏休みで学校はやっていませんが、特別に海外からの生徒の為にこのESLが行なわれたのです。 寮も含めたその校舎はまるで「宇宙基地」のようでした。 学校全体が五角形の形をしており、その中に、教室、カフェテリア、体育館、寮など、すべてが入っています。 だから、どこに行くにも、外に出る必要はありませんでした。 だから、宇宙基地!

ホームページー留学ー仲間たち宇宙基地―朝の目覚め食事数学の授業

ノースダコタ州からカリフォルニア州へ

9月からSophomore (日本の高校1年にあたる)に登録され、いろいろありましたがなんとか単位を取り修了しました。 とにかく、Quiz, Homework、Term Testなど勉強のしくみがまるでわからないし、どのようにしてその課題に取り組めばよいのか、いつまで提出しなければならないのか、などなど本当に、最初からです、友達に教えてもらいながらの日々でした。 二年目からはカリフォルニアのプレップスクール(私立の大学受験校)、SCDS高校へ転校しました。

このノースダコタ州の印象は鮮烈でした。ノースダコタ州は冬、猛烈に寒いです。 零下20度。 ただし、湿度が低いので、それほど寒いとは感じませんでした。 冬は、雪、雪、の一面銀世界です。 「こんなに遠くへ来てしまったんだ。」と、窓から雪景色を眺めながらつくづく感じました。

それに比べて、転向した高校のあるカリフォルニア州はなんて温暖な気候なのでしょう。

授業中?-1

Mrs. Shiepmanからの助言 ― 紙の辞書を離さないこと

英語は前のDA高校でかなりハードに勉強したので、カリフォルニアへ来る時にはTOEFLはPBTで、 450を越えました。いつも辞書をジーパンのずぼんのポケットにしまい、授業中はもちろんのこと、友人と会話している時、食堂で皆と一緒に食事をしている時など、どんな時でも知らない英語の言葉が出ると辞書を取り出し、話を中断させて調べました。 (これがよかった、と今では思っています) English 11の教師 Mrs. Shiepmanがそのように勧めてくれました。 Mrs. Shiepmanは、辞書は、電子辞書ではなく、紙の辞書を使うように私に言いました。 「紙の辞書は調べる言葉の前後の言葉も読むことが出来、世界が広がる」と説明してくれました。 「『紙の新聞』の中には、インターネットの情報と違って、世界の情報がつまっている」とよく言っていたのを覚えています。

厳しかった学校長

休みは現地に残った - 日本がちょっぴり恋しい

夏、春、冬の休みにはたいてい現地に残りました。 というのは、父親が仕事の関係からカリフォルニアに友人を多く持っていたので、様々なところを一緒に訪問したからです。 でも日本の友達と会えず、少しさびしい思いもしました

卒業後、サクラメント市にあるジュニアカレッジに進む予定です。 そして、できれば、4年生の大学へ編入学できればと思っています。

ノースダコタ州に行ったとき、「こんなさびしいところに来てしまった」と涙を流したこともありました。でも、ある時を境に、私は考えを変えました。 「自分が変われば、自分が決心すれば、世界は変わる」と。 自分で言うのも変ですが、自分に厳しくしました。 そのときから私は変わったようです。

 

 

 

 

 

 

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の高校Vancouver相楽 良.

カナダ、Vancouver地区にある高校

 

「自信」が付き、「勇気」が湧いてくる。ポップコーンを食べると、なぜか胸が熱くなる。

 

 

留学した高校では、日本人は僕一人でした。 学校全体でも500人の生徒数の小さな高校でした。

僕は、ラグビーをやるので部活で入りたいと思いました。 カナダの高校ではそれほどラグビーは盛んではないと思っていたのですが、すごく盛んなのでやる気を出しました。 最初の試合ではトライすることが出来、幸運! Vancouverの学

 

ラグビーは僕の友区や地域の対外試合を勝ち進んでいくばかりではなく、Intramural Sport というのだそうですが、校内で、気の合ったどうしで試合をして汗を流す、この方がずっと楽しく、思い出になっています。 今思うと、ラグビーで汗を流すことがなかったなら、僕の留学生活はよほど暗いものになったはずでした。 なぜなら、毎日が、All work, no play! の生活だったからです。

ラグビーは僕の友

All work, no play. この生活の毎日

とにかく、授業が分からない、だから宿題に追いまわされた毎日でした。 英語がきつかったです。 English 12は12年生で取るのですが、地元カナダの生徒と同じレベルのもので、[英語で読み書く]ということがこれほど難しいものだと想像もしていませんでした。 何度もSchool Counsellorから呼び出しがあり、国際学級担当の先生と協議し、「担任の先生から助言をもらうように」と言われました。 自分の英語力の無さに失望しました。 それでも、夜遅くまで、与えられた課題と取り組みました。 「・・・・」を読んでレポート3枚にまとめて提出、「・・・・」のP.37~P115まで読み、作者の意図を推測し書き提出、・・・・・ こんな一日ではできない課題ばかりが授業のたびにその日の宿題として出されたのです。 (注記) 現地の生徒にとっては、中にはできない生徒もいましたが、たいがいの生徒はきっちりとやってきていました。

 

おかげで、TOEFL-iBTのスコアがよくなった

でも、この英語の授業のおかげだとおもいますが、TOEFL-iBTでもスコアが良くなり、日本の大学へ帰国子女入試で合格することが出来ました。 科目では、僕にとって、Social Studies 11と12 もchallengeでした。 カナダの地理、歴史、経済、政治、どれも留学前には関心がなく、何の準備もなく授業に入ったからです。 「なんとかなるだろう」は通じませんでした。 こんなわけですから、卒業できたことが夢のようです。

 

ポップコーンを食べると胸が熱くなるのは・・・

ホストファミリーはトルコ系の人たちでした。英語はもちろん堪能。週末はよく、Vancouver市内の映画館に家族で行きました。食べきれないポップコーンやアイスクリームの味が忘れられませんね。

僕にとって留学の日々は、この薄い塩味のポッブコーンで慰められたような気がします、今でもポップコーンを食べると胸が熱くなります。

私にとって、留学の日々は、ずうっと未知の経験の連続でした。でもこれで「自信」がつき「勇気」が湧いてくるようになりました。 日本にいたのではこのようにはならなかったと思います。

この意味で、留学に感謝しています。

 

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A. K. さん

オーストラリア、Brisbane地域にある高校

留学しても英語がうまくならない。 どうして? 勇気を出してJudyに頼んだわけ。

 

体験談―AK-英語がうまくならない

 

広いキャンパスにびっくり!

Brisbane郊外地域にある高校で、高校の敷地が広い。 プールやどんなスポーツでもできるグランドはもちろんのこと、8ホールのゴルフ場もあるので驚いた。オリンピック級のプール

スポーツは、ラグビーはもとよりサッカー、クリケットなど何でも盛ん。 女性ではホッケイが一番のようだ。 緑の芝生で大声を出してステイックを振り回している生徒の姿が浮かぶ。 自分も仲間に入ってやれていれば、と今では思う。 選手として試合に出るまでには相当の鍛錬が必要だが、英語ができない自分には練習をしてうまくなる自信がなかった。

 

とにかく英語

勉強の方は最初、英語ができないということで甘くしてもらっていた。でも、2nd Term (4月から6月まで)に入ると厳しくなった。 しばしば、国際学級の仲間だけではなく、オーストラリア人の友人や先生にも相談に行ったこともあった。 それでも、隠さずに言うが、英語がわからないので、そのとき質問をして話をして分かったのは半分くらい。 そこには、“Yes, Yes.” と分からないのに言ってしまっている自分がいた。 従って、あとは、家に戻り課題に取り組みながら再度、いろいろと考えた。 とにかく、英語の授業がきつかった。 ESOL(英語ができない外国人の為の英語)と普通のEnglishとがあるが、ESOLもATARの科目として認定されているので、特にLevel 3は、とにかくむずかしかった。

 

私の英語を直さない先生、なぜ?

私が一番感じたことは、留学していても「黙っていては英語は、絶対にうまくならない」いということ。

というのは、どの先生も、Englishの担任の先生を除けば、直接「あなたの英語は間違っている」と言って直してはくれないということ。 どうして直してくれないのか、私なりに考えた。 その結果はこうだ。 「日本から来ているのだから大変ね」「留学が終了すれば日本に帰るのだから」と考えて、先生も友人も間違った私の英語を直してはくれないということ。 このことを親しくなったオーストラリア人の友人 Judy に打ち明けてみた。 「私が英語でうまくなりたいこと」「私の英語を直してほしいこと」を強く頼んだ。 この為かどうかはわからないが、私はだんだんと英語に自信が持てるようになった。

 

自作の詩がほめられた

Communication 11の授業でpoemを発表する課題が与えられた。 私は、自分の心の寂しさとその心の寂しさが自分の未来を作る、ということを詩に書いた。 それが、担当の先生からほめられた。その時は一番うれしかった。 少なくとも、文法上のミスはなかったと自負している。

 

すし、てんぷら、そばが頭から離れない

ホストファミリーは、最初、御主人が歯医者の家族だった。半年後、家を引っ越すという理由で他のファミリーに替わった。このファミリーはトルコ系の人たちで、30年前にカナダへ移民してきたとのこと。 英語は上手で、良い人たちだった。 食事は辛い料理が多く、目をつぶって飲み込んだこともしばしばあった。 だから、ベッドに入っても、日本の寿司、天丼、そばが頭の中に浮かんできて眠れなかったこともあった。 それを悟ったのだろうか、ホストマザーは「嫌いなら食べなくてもよい」と言ってくれた。私はほっとした。 でも、そのことをほかの友人に話したところ、嫌いなら嫌いとはっきりというべきよ、とのことだった。 でもそういう勇気がなかなかわいてこないのも現実。

遠慮せずに言えるようになったなら私も一人前だろう。でも今は、まだ言えない。

 

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坂井 仁君

オーストラリア、QueenslandBoondall にある高校

文武(部)両道の高校を求めた-――今、帰国子女入試に向け猛勉中。

身体を鍛えよう

 

 

なぜオーストラリアか? それには理由があった。『文武両道の高校に行きたい』、そこでオーストラリアでも名門の寮制男子高校のN高校を希望。N高校は、ラグビーだけではなく、サッカー、水泳、クリケットなど、オリンピック級・ワールドクラス級のナショナルメンバーが数多く出ている名門高校とのことだった。日本にも、文武両道を標榜する私立高校は多い。でも、受験とスポーツの双方で優秀はまれ。 ところが、オーストラリアではこれが当たり前。 去年、卒業したK君という日本人も、ラグビーと勉強で優秀だったと先生から聴いた。 N高校もUniversity of QueenslandやGriffith Universityなど国立、公立、私立有名大学への進学率はきわめて高い。一つ驚いたことがある。

 

現地の生徒は、高校生になると急に体がでかくなる。

オーストラリアでは、男性の生徒だが、一般的に、高校生になると― 特に2,3年生(Year of 11 and 12)― になると体が急にでかくなる。今までひょろひょろだったのが、急に筋骨隆々となり、ほとんどがラグビーのクラブチームに登録する。そして連中は、週末の朝は早く起き、近くの公園やグラウンドへ行き試合をする。 高校の授業が終わる放課後は、ランニングや基礎体力の鍛錬と練習に明け暮れる。 専門のコーチから様々な技術を伝授され、そして自分の技を磨く。それであんな強いチームができあがるようだ。

ーNudgee college坂井君昼休みーNudgee College ラグビーが一番bmp

僕はサッカーを選んだ。

僕は、ラグビーではなく、レギュラーになれるサッカーを選んだ。 毎朝、ホームステイの家をでて近辺をランニング。州立のスポーツセンターまで走り、Sandgate通りを下り、そして高校が経営するゴルフ場のアップダウンのきつい芝生を走り抜ける。 すると、渡り鳥がたくさんいる池に出る。

澄んだ空気、抜けるように青い空、緑が目にしみる。 早朝ゴルフを楽しんでいるグループと出会うと、グッ・モーニン Good morning. と声がかかる。

 

時々、英語と日本語がごちゃませになる。

 

こんな環境で、英語コースを含めて2年半、留学生活を送り現地の高校を卒業。  家の事情で今は日本に戻り、11月の帰国子女入試を目指して猛勉中! 一番の課題は日本語の論文。 日本語で文を書いているとき、ふと気付くと英語で考えていることがたまにある。 文の中の言葉の順序や文章の内容の構成で、その順序がときどき、ごちゃまぜになってしまう。 「この消しゴムは誰の?」と予備校の講師がいった時、思わず「That’s my…」と言ってから、日本語で言い直した。 これは良いことなのか? よくわからない。 将来は、バイリンガルのジャーナリストを目指している。

 

 

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留学について一番わかるのがこの「体験記」「体験談」です。 トップページに戻っていろいろな人の体験談を読んでみましょう。