旅-冒険の復活San FranciscoとNew York

坊家の復活ーSFとNY-1旅の報告書―冒険と発見の復活


成田~San Francisco ~ New York~成田


前半: 成田から出発 San Francisco に 滞在: Silicon Valley, San Jose, Mountain View、コンピューター都市: 今、Google,昔、IBM Microsoft


ロゴ_クリック

7月21日(水)早朝。


予定通り、San Francisco空港へ到着。まず、空港駅からBART(SF市内の地下鉄)を利用し、

Millbrae駅へ。そこから、Cal Trainという電車で, 滞在先となる Mountain View市に向かった。外はかなり涼しい風が吹いており、長袖または上着が必要かと思われた。7月なのにこんなに寒い、異常気象?

切符を購入するのに多少手間取った。Cal Trainの電車はがらがら。 歩積君は二階に陣取り、“おれは今アメリカに来たんだ!“とそんな表情で外を見ていた。 異国の店や建物など、そして緑の木々が後ろへ後ろへと後退して行った。そして、無事、Mountain View駅に到着。 午前11時。早速、タクシーを拾った。運転手はインド系。 インド系の人が増えたとは聴いていたが、いきなりインド系の運転手でびっくり。

Mr. & Mrs. Miller宅へ到着。走行メーターは9ドル50セント、チップを含め12ドル払い車を出た。

Mr. & Mrs. Miller より歓待を受ける。阿部はシャワーを浴び、歓談のあと、近辺の散策に出た。皆、長旅の疲れか、眠ってしまった。目を覚ましたときは、夜。夕食は日本食。口に合っただろうたか?10時、再度、就寝。


7月22日(木)

Market Street近辺   7 Elevenで買い物をした


サンフランシスコ市内見学に出発。Cal TrainとBARTを乗り継ぎ、市内の目抜き通りにあるMontgomery駅に到着。昼食の食べ物を買うため、Seven Eleven(7 Eleven)に入り、そして

サンフランシスコで一番の目抜き通り Market Street沿いにあるマクドナルドに入った。一人の黒人男性がカウンターの前で、

「Give me ...!!!, give me ...!!!」

と叫んでいた。固唾を呑んで見守っていると、小さな女性の白人警官が入ってきて、一言二言しゃべって、その黒人の男性を外へ連行して行った。 生徒達は唖然。どのようにこの出来事を見たのだろうか。席に着き、食べながらその感想を訊いたが、笑っていて言葉は出なかった。思いがけない光景に、びっくりした、そんなことだったのだろう。(Mr. Millerに、後で、このことをたずねてみた。 「何を黒人男性は要求していたのですかね?」 「それはよくあることで、どうってこともないことで文句を言っているんだよ。よくあることよくあること」と言っていた。)

昼食の後、China Town(中国町)を訪問。その目抜き通りを北へ歩いた。もし、かなりの距離があるならMUNI(サンフランシスコ市営バス)のバスに乗ることも考えたが、もう、あのChina

Townの入り口の瓦屋根と赤い建物が見えてきたので、そこまで歩いた。おみやげ物屋が一杯並んでいる。どの店の入り口にも、キーホルダーと絵葉書とテイーシャツが置いてある。絵葉書に注目、「二枚で1ドル」。買おうかどうか迷った。次の店へ行った、品ぞろえはどの店も同じだから。また、次の店へ行った。絵葉書、「4枚で1ドル」? どうしてこんなに値段が違うのだろうか?次の店、「えーっ、この店、8枚で一ドル!」これがアメリカ????

つぎに向かったのがJapan Town(日本町)。坂を上ったり下ったり。バスに乗ることも考えたが、吹いている風が心地よく(少し涼しいくらいだったが)、この風が時差ぼけの体には丁度良かったこともあって、無理して歩いた。その間、途中で、トイレに行く必要もあって、教会に入った。この教会が有名な教会で St. Nicolas 教会。階段を上り、礼拝堂の扉を開けると、ヒヤッとした空気。通りには人はあまり歩いていなかったが、この礼拝堂の中は結構な人。祭壇のある正面に向かって歩こうとしたら、左側に小さな標識。よく読めば、「礼拝する人は寄付金が20ドル必要」とのこと。遠まわしに書いてあった。「なんだ、寄付金が必要なのか」日本に、「地獄の沙汰も金次第」という言葉があるが、アメリカも同じ。生徒達はそんな風に感じたのではないだろうか?トイレを済まし、再び通りに出て、坂を下り、だらだらの上り坂を登り詰めたところ、五重塔が見えてきた。五重塔はJapan Townの公式な説明書にも載っている、その象徴となるもの。そんなに広くないので、ひと通り歩いてみた。みやげものやと居酒屋や食堂などの店ばかりで、日本の文化を髣髴(ホウフツさせるような場所は探せなかった。残念。ある店に入り、3時のおやつとして、ケーキ、シュークリーム、飲物をとった。生徒達は食欲なし。 飲物だけ飲んで、五重塔の見える広場に行き、フリスビーに興じていた。「アメリカに来てまで、フリスビーをすることはないだろう、そんなことは日本でいつでもできるのだから。もっと、アメリカでしか見られないもの珍しいものを見たらどうか。」と言ったが、生徒達には生徒達の立場があるようで、意見をきこうとしなかった。帰りは、Troley Busに乗って、BART地下鉄のMontgomery駅まで行った。バスはバスでも、Troley Busなので、バス二台が連なっており、そのバスは上にはりめぐらされている電線にもつながっているからだろうか、そんなにスピードは出ない。せいぜい、時速30kmぐらいだろう。乗っているのは、ほとんどが黒人かアジア系の人。白人はまずいない。高いビルが建ち並んでいるところへ来たので、目抜き通りのMarket Streetが近くなったのをかんじさせた。隣の女性に訊いてみた。「Market Street?」「Yes.」さあこれからが大変、運転手に合図を送らなければならない。どうやって?ひもを引くのである。日本のバスには、必ず、「降りる」意思を信号と音で伝える装置が各バスについている。その装置と大体同じ高さに白いひもが張ってあり、それをひくことで運転手に「降りる」意思のあることを伝えるようになっている。「それ引け!」 引きすぎ?だった。

Montgomery駅前まで坂を下っていった。少し行くと、にぎやかでうるさい、鐘のようなものを鳴らす音が聞こえてきた。そのうるさい音の出所をよくみると、黒い服ブーツ姿の警官隊がうようよ、警察用の大型オートバイが何台も並んでいる、そしてプラカードを持った人々。この人々が音の源だった。警官隊の隊長さんだろうか、ヘルメットを被った太った白人の警察官に訊いてみた。

「This is demonstration?」(これはデモ隊ですか?)

「Yes.」

「What kind of demonstrations?」

「Union!」(組合のデモ)

Hotel Century Hyatt(日本では、センチュリー・ハイアットホテルの名前で運営されているが、世界的に有名な大ホテル)の従業員(組合員)が賃上げなどの労働条件を求めて、そのホテルの前でデモをしているとのことだった。さて、秀治君達はこれを見てどう感じたのだろうか?

BART地下鉄、Cal Trainと乗り継ぎ帰宅。Mr. Millerにこのことを話して訊いてみた。Mr. Millerからは、「最近、経済不況の影響で、このような労働条件を求めるデモが多くなっっている」との返事だった。最近の日本では、デモはあまり見られなくなった。生徒達の感想はいかに?

夕食は、Mr. Millerの家から歩いて10分くらいのところにある、Grant Road Plaza というShopping Mallの中の、Ranchi Market 99と Nob Hillsで食べた。アジア系の味。辛い味でチキンの煮込んだもの、油条(山内秀治君が推奨)、焼き飯(flied Rice), 焼きソバ(chew men またはflied noodle、胡麻団子(あん入り胡麻のだんご・・・・結構大きい)、焼きビーフン、肉野菜中華風、パンなど。中華風というよりもアジアの味が交った食事。話に花が咲いて、帰りが遅くなってしまった。こちらは、9時ごろまで明るかった。Mrs. Miller

から、帰宅が遅いので叱られた。10時、就寝。


7月23日(金)ロゴ_クリック

San Joseの街の中で       San Jose州立大学

のスペイン風の正門


レンタカーを借りた。まず、Sunnyvale市にある、Computer Historical Museumを訪問。車を止め、入り口から入ろうとしたなら、なにやら大工さんや職人さんたちが働いていた。扉のところまで行くと、其の工事の現場責任者であろうか、白人の男性が、「Closed!」(閉館)と腕を交叉させていた。つまり、工事中で閉館中。その工事が終了するのが来年の一月とのこと。残念。やはり、現場に行って見なければわからない。

気もちを切りかえて、少し遠出をすることにした。世界の最先端産業の集まっている場所は?といえば

サンノゼ San Joseしかない。つまり、シリコンヴァレー Silicon Valleyの中心地の都市である。

早速、San Joseへと向かった。 高速道路を使って約30分。San Jose市内到着。

そして、高速道路を降りてすぐのところに San Jose State University サンノゼ州立大学の裏門があった。

駐車場に車を止め構内に入った。 さすがに広い、その広さにびっくり。緑の芝生が目にしみる。スプリンクラーが水をまいていた。売店に入った。品物は、自然食、有機栽培のものでおおい尽くされており、各自すきな飲物を購入。中央の広場には、舞台が設置され、翌日のコンサートの設営、リハーサル中だった。正門にたどりつき、写真撮影。正門はスペイン風で、色はあの橙色と黄色が交った薄い茶色。「はい、チーズ!」

次に、大学内にある警察の派出所へと向かった。その建物の前にいる見張りの警察官の前を通って、道を訊くため中へ入った。ガラス越しに、目指す最先端技術博物館 High Tech Museumの場所を訊いた。一、二分してガラスの下の金属の差し出し口から High Tech Museum までの地図がでてきた。その間、警察官とは全てガラス越しの応答。とにかく警戒(けいかい)が厳重(げんじゅう)だ。これがアメリカ?と感心し、又ため息をついた。High Tech Museumまでの地図が手に入ったので、まず昼食をしよう、ということになった。市営電車(Light Railと言って、San Jose市内とサンフランシスコやサンノゼのベッドタウンとを結んでいる)の駅に近いアジア風の料理屋に入り、弁当を購入。それを、San Jose市の中心にある公園広場で食べた。その後、目指す High Tech Museum 高度技術博物館を訪問。中はかなり混雑しており、本日の催し物を標識やポスターで点検。子供達の年齢は、だいたい小学生が中心で、中学生はあまり見当たらなかった。団体の小学生は、黄色や青色のテイシャツを着ていて、この博物館のメンバーのようだった。

生徒諸君は、早速、目ざとくお土産品売り場に入って、何があるか物色した。磁石で動くのだろうか、空中にあってくるくる回る模型が気に入ったようだ。 秀治君はそれを購入。

今度は、噴水をはさんでナナメ向かいにある Art of Museum 美術館に入った。係りの受付嬢に訊いたところ、現代の美術作品ばかりで、ゴッホやピカソの作品やもっと古い作品は全く展示されていないとわかった。そのホールの周りに飾ってある作品を見、そしてトイレに入り、美術館をあとにした。

Mountain View市に向かった。 車で約40分。Mountain View市に到着。生徒達はフリスビーをやりたいとのこと。 車に乗っていることが多かったので緑の芝生で動きたいしのんびりしたいという事だろう。近くのQuesta Parkクエスタ公園で遊んだ。クエスタ公園には、週末を楽しんでいる現地人家族が大勢繰り出していた。バレーに興ずる人々、バーベキューパーテイを開いている数家族、ブランコや渡り棒などの公園の遊興施設で子どもを遊ばせている

家族など、様々な人が来ていた。目立つのはインド系の人々。話には聞いていた、「最近、インド系の人が増えている」と。このあたりも、コンピューター関連企業が周辺に多くあるので シリコンヴァレー Silicon Valleyの一角、だからインド系のコンピューター関連企業が数多くある。インド系会社が数多く進出して来ていることの証だろう。

夕食は、少し遅くなったが Mountain View市のダウンタウン Downtownに行ってみた。かなりの人ごみで、この時間にこのように人が集まるのは最近のことで、前はずっと静かだったようだ。前は、昼食時にはかなりにぎやかだった。しかし、夕方からはひっそりとしたものだった。ところが最近になってにぎやかになった。メキシコ風、中華風、日本風、イタリア風、どのレストランも人で一杯。一番ごった返していたのが、店のテーブルを道路一杯に置いているイタリア風レストラン。どこに入るか散々迷った。結局、無難な味の中華レストランに入った。注文したのは、焼きソバ、焼き飯、野菜と肉のいためもの、シーフード八宝菜、ご飯、茶、どうもいつも同じメニュー。それでも、おなか一杯に食べた。食事が終わって、駐車場まで街並みを歩いた。なん列も並んでごった返しているのは、アイスクリーム屋さん、イタリア風アイスクリームとのこと。食べてみようかと思ったが、順番が回ってくるのがいつになるか見当がつかずあきらめ、帰路に着いた。


7月24日(土)

教会の礼拝堂の中    街並みで


午前、Mountain View 教会を訪問。夏期の間は、教会の信者さんたちは車で数時間かかる山合いにある

Camp地での礼拝に参加しており、その映像が同時中継放送されているだけだった。だから、期待していたパトラックという「持ち寄りの食事つきパーテイー」はなかった。残念。

午後、憧れのMystery Spotに向け出発。一般道から高速道を経て Mystery SpotのあるSanta Cruz地域までは正しく行くことができた。しかし、そのあとの道がわからない、何度も同じ道を繰り返し行ったり、何度も人に訊いたりした、それでも行き着けなかった。(しっかりしろ!阿部運転手!) 仕方がないので、今日はドライブ日和とし、夕方はみやげ品の買い物とすることにした。 Mountain View市に戻り、Shopping Mallを散策。行った店、Ross デイスカウントショップ 何でもある店, Wal Mart アメリカ一の規模のスーパーマーケット, Target アメリカでも有数のスーパーマーケット, Rite Aid 全米各地にある、雑貨店品, Ranch Market 99 食料と食事のチェーン店, Marshalls 靴屋のチェーン店, Nob Hills 食料と食事のチェーン店, 虹屋 Nijiya 日本食の食材品点、Castro Market 中華食の食材品店などなど。

日本と同じように、とにかく、ものは豊富。食事の材料は日本のものに比べて約半額、安い。特に、肉の安いこと。しかし、すでに調理した料理は何でも高い。一品一人前、7ドル、8ドルは当たり前。

くだものとして、ぶどう(種無しの皮も食べられるぶどう)、もも、バナナ、りんご(りんごはあまり美味くない。小粒で硬い)、マンゴー(これはうまい!)、西瓜(すいか)(丸い西瓜,ひょろ長い西瓜、小粒の西瓜、でかい西瓜など、各種あり)、メロン(メキシコ産、カリフォルニア産、いろいろあり)などなど。あらゆる種類の肉、ハム、チーズが安い。1キロ、2キロ単位で、皆、買ってゆく。300グラムとか、ステーキ2切れのように少ない量を買ってゆく人はいない。このような品目の並びをみると、ここカリフォルニアでは、まだ、料理は家庭で作るもので、その食材が主としてスーパーに並んでいる。安心した。作られた料理や外食はまだ、カリフォルニアのこの近辺では主流とはなっていないようだ。家庭の味がまだある。


7月25日(日)

カントリーウエスタンの  Big Treeの木の中で  ふたごのBig Treeの  Mr. Millerと一緒

音楽の生演奏          下で


午前9時、あの憧れのミステリー・スポットMystery Spotに向け再度、出発。胸がわくわく。高速道路85を南下し、次に高速道路17、そして9と乗り継ぎ、Grandile Creekという一般道を抜け、そしていよいよ Mystery Spot Roadに入った。かなり狭い道を走り約10分、到着。車を駐車しようとした。そこへ係員が来て言った。

「今日は、予約 reservationのある人だけが入れます」

つまり、予約なしの人は見学できないということ。「えーっ!」ここまで来て、入れないの。生徒達からは不満の声。全員、がっかり。せっかく来たのに。

気もちを切りかえざるを得なかった。Mr. Millerと相談した。聞けば、近くに、Mystery Spotに劣らず素晴らしいところがあるとのこと。その場所は、ヘンリー・カウエル・レッドウッド公園 Henry Cowell Redwood Park.

ビッグ・トリー Big Treeで有名とのことだった。 早速、気もちを切りかえて、出発。約30分ぐらいで到着。駐車料金を入り口で支払い、車を降りた。カントリー・ウエスタン風の音楽が聞こえてきた。西部劇でなじみの当時の服装をしたグループが,バンジョー、ギター、タンバリン、バグパイプ(スコットランドの音楽を演奏するとき必ずこの楽器が出てくる)で曲を演奏していた。なんともいえないいい気分。その音楽を聞いた後、公園の散策に向かった。なんとあるある、でかい木がこれでもかこれでもかと立っていた。直系5メートルはあろうかという大木、木の中で充分休める空間のある大木、兄弟の様に隣り合ってそびえている二本の大木、それらの木々のまわりには名前のわからない鳥たちが飛び立っては止まり、飛び立っては止まりしていた。鳥たちは人が近付いても逃げない。東京の各駅前にいる「はと」は、人口的に飼育されていて逃げないが、この周辺の鳥は文字通りの『野生』、それでもあまり逃げない。えさはやっては駄目。 No feeding the wild!と簡単に書いてある標識がやたらと目に付く。「野生」を大切にしていることを意味している。木々の高さは、50~100メートルと、そう高くはない。しかし、樹齢を聞いてびっくり。 2000年、3000年だそうだ。案内所Visitors’Houseを訪問。そこにはこの近辺の野生動物の剥製(はくせい)が展示してあった。コヨーテ、鹿、熊、スカンク、野生のリスなど。これらの動物は、今、すべて絶滅の危機にさらされている動物たちだ。

また、これらの木々が発見されたのは西部開拓の時代で、今から150年も200年も前。最初はこれらの木々は、その自然的価値がかえりみられることなく、燃料としてどんどん切り出されていった。しかし、ある写真家がここを訪問してから、その写真家を中心にこれらの木々の育ってきた森を残し貴重な自然公園として保存しようとする運動が盛り上がり、今日まで保存されてきているとのことだった。開発か?それとも保存か?の論争は今でもあるそうで、さて、生徒諸君はどっちの意見に賛成か?


7月26日(月)

Mountain View市の

DowntownのCastro Street

にある店で


今日は、New Yorkに向け出発する日。遠出はできないので、近くで土産品などの買いものをした。12時半。Mountain View 教会の日本人牧師、岩橋牧師夫妻から食事に誘われ、朝鮮食のレストランKorean Restaurant へいった。El Camino Realという一般道路を車で10分くらいのところにあった。とにかく辛(から)い味の料理ばかり。秀治君の食べること食べること。この辛い味が生徒達の胃袋を刺激し、何時もは少食なのに、今日に限っては、食べる食べる、出された小鉢のものはすべた平らげ、すすめられるままにお変わりを連発したせいともいた。この生徒は、少なくとも、2人前は食べたのではなかろうか。顔は紅潮し、満足した顔をしていた。 確かに、カリフォルニアでは、アジア風、中華風の料理は食べたが、こんな満足した顔はしなかった。とにかく、この生徒の食欲には脱帽した。ニューヨークに行ったなら、多分、この味の朝鮮料理は食べることは出来ないだろう。今のうち食べておいて下さい。

食事のあと、Mountain View市内のCastro Streetにある本屋に入った。多分、本屋のうちでは小さいほうにはいると思うのだが、それでも置いてある本の数は、子どもから大人まで、遊興本から学術書まで、ありとあらゆる本があり、間口の狭さからは考えられない(奥が深い)ほどの本の数だった。

家に戻るため歩こうと思ったが(歩けばゆうに30分は掛かる)、バスを利用する事とした。バスには急行と鈍行があるので要注意。急行に乗ったならとんでもなく遠いところで降ろされる。2台目が鈍行だった。大人二人、若者(Youth)二人、合計7ドル。皆で細かいお金をだしあってなんとかつり銭がなく支払うことが出来た。(バスではお釣りは出ないから)Grant Road停留所でおりなければならないので、皆にGrant Roadと車内放送があることを告げた。(できるかな?)3つめがこのGrant Roadだった。降りることができた。やはり、サンフランシスコの市内のバスTrolley Busと同じで、ひもを引くと「降りる」の合図。無事、家に到着。

夜8時半、まだ明るい。Mr. Millerの運転でサンフランシスコ空港へ向かった。大分余裕を持って、空港に向け出発したのだが、サンフランシスコ空港内での出国手続きに時間がかなりかかった。良くその理由は判らないが、私達の荷物は載せられないとか言っていたが(その理由の説明がないのでよくわからなかった。上司の女性は理解していてすぐにでも手続きを完了できる態度だったが、担当のカウンターにいる女性が良くわからない風で、これで30分も掛かってしまった。また、手荷物と身の周り品の検査のところにも長い列ができておりとにかくぎりぎりだった。飛行機が飛び立つ15分前にゲートに着いた。やっと間に合った。


後半: San Francisco から New Yorkへ: 時代を先駆けるNew Yorkを実感


7月27日(火)ロゴ_クリック

地下鉄の電車の中    ホテルの近くの店の   通りの日陰にある

で          中から見える街並み   物売りの売店、新聞、

飲物、ガム、雑誌など


飛行機での一泊だった。食事らしいものが出たような気はするがあまり覚えていない。早朝、ニューヨークに着くので、そこから地下鉄に乗り、マンハッタンManhattanを抜け、そしてホテルのあるコロンバスサークルColumbus Circleで降りる。ただそれだけなのだが、ところが、ニューヨークの地下鉄は入り組んでいて、急行あり、鈍行あり、又、たくさんの線(A線,B線,C線,D線,E線,F線、1線,2線,3線,4線,5線)が乗り入れており、その線も、途中までと終点までのとあり、とにかく入り組んでいて難しい。これは、前に二度、ニューヨークに来たが、それでもまだこの地下鉄の乗り方に自信がなかったからだ。間違いのない地下鉄の電車に乗るには、多分、今までの経験では、何回も人に訊き、そして考え、ホテルまで行かなければならないだろう、そんなことを考えながら座席でうとうとしていた。生徒達にはそんなことはおかまいなし。秀治君は本を読んでいたし、歩積は電子辞書を夢中で操作していた。少しでも眠ってくれると助かるのだが。ニュ―ヨークは暑いぞ!


早朝、ニューヨーク到着。空港は三つあるうち一番古い空港で、John F Kennedy Airport。荷物を引き取り、先ず両替所に向かった。なぜなら、余裕を持ってドル札を両替して来たはずだが、ドルが足りなくなったから。インフォメーションで、その両替所の場所を訊いたら、4番ターミナルに行くようにとのこと。私達の着いたターミナルは3番だった。案内掲示板を見たら、Air Trainという電車がターミナルを結ぶ空港内と地下鉄の主要駅のハワード・ビーチHoward Beachの間を走っていて、それに乗れば一駅。その通りにした、無事、両替ができた。一安心。さあ今度はハワード・ビーチまで。これもオーケー。さいさき良いスタート。地下鉄の係官がいたので、ハワードビーチから59通りーコロンバス・サークル59th Street-Columbus Circleまで行きたい旨言ったところ、一人5ドルプラス2ドル25セント、すなわち7ドル25セントで行ける、とのこと。ついでに「どの電車なら乗り換えなしでコロンバス・サークルまで行くのか?」と尋ねた。

「Next train!」

(これはついている。)

「Is that a rapid train or a local train?」

「Rapid train.」 (快速)

これでオーケー。この電車に乗ればホテルのある59th Street – Columbus Circle駅まで連れて行ってくれる。

電車は最初、数分走っては止まり、また数分走っては止まりしていた。外をみると、まだ地下にはもぐっていない。通り過ぎてゆく駅のホームを見た。人が立っている。ほとんど黒人。車内を眺めてみた。ほとんど黒人。生徒諸君はこの様子をどのように感じたのだろうか。生徒達の目はとろーんとしており、この様子を感じ取っているのだろうかわからなかった。(後でこのことを訊いたら、「こわかったー」との返事が帰ってきた。)黒人だから何か悪さをするわけではないが、私達は慣れていないのでこわく感じるようだ。

30分も乗ったろうか、にわかに混んできた。白人やアジア系の人も乗ってきた。このあたりがマンハッタン?

結構、白人も乗ってきた。買い物帰りの白人女性、耳にイアフォーンをあて帽子をかぶっている黒人男性、太った黒人女性、コートを着て眼鏡をかけた長髪の男性、様々な人が乗ってきた。それらを観察していると、電光表示版に「59th Street Columbus Circle」と表示されたのが目に入った。

「さあ降りるぞ!」

荷物を起こして降りる用意。出口の改札を大きな荷物がなかなか通らない。やっと外にでた。暑い! 直射日光が痛いほどだ。早速、ホテルに向かった。ホテルでチェックインしようとしたら、時間が早いのでできない(チックインの時間は午後2時半以降。着いたのは午前8時半)とのこと。仕方がないので、私達の大きな荷物だけをホテルに預け、セントラルパークを散策する事とした。眠気もこの暑さと汗で吹き飛んでしまった。

公園は、ニューヨークの住人がここで憩(いこ)うところなので、あらゆる人がきていた。一番目立ったのは、同じ色、同じ模様のテイーシャツをきた小学生の団体。少ない団体で20人ぐらいの子ども。大井団体で50人ぐらい。黒人のグループが多かった。よく観察すると、その子供達の周りには大人たちがおり、大学生や大体その年代の若者が多く、その人たちが子どもたちを監視しながら遊んだり目的地に向かったりしていた。学童の保育園か小学生の団体がセントラルパークの施設を利用しに来ていると想定した。見かけたのは、中国人の子どもたちの団体が一組。白人の子供達の団体が一組。残りの団体は皆、黒人の子供達の団体だった。これは、それだけこの近辺には黒人が多く住んでいることを意味している。

芝生にチョコチョコえさを求めて動いている灰色の大きめのリスたちにいるのに気付いた。とにかく、このリスは、アメリカのどの地にもいた。もちろん、Mountain View市の公園にも必ずこのリスがいた。セントラルパークの中で目立つのは、馬車に引かれた観光客用の馬車。赤色、白色、黒色。値段は、一般:20ドル 特別:50ドル。乗っているのは主に、白人の観光客。売店にも入ってみた。そして、売店を出て、空を見上げてみた。高いビル群が公園を囲んでいる。30階、40階の商業ビルだろうかそれともアパート(日本でいう“マンション”)だろうか、とにかく高いビルがセントラルパーク沿いに、セントラルパークを囲むようにして林立している。ここは10キロメートル以上マンハッタンから離れることになるが、ハーレムHarlemという地域までこのビルが林立している状態が続いている。

午後2時。公園を抜けてホテルに再び向かい、チェックイン手続き。ことのほか時間がかかった。その原因は、朝、私達が一度チェックインのため立ち寄ったが、そのとき前の係員が私たちのチェックインの予約を端末機に入力しておいたらしいのだが、そのとき、私達の名前を間違って他の人の名前で入力してしまったらしいのだ。約30分経過。ようやく終了。部屋のカードをもらい、12階の部屋へ。二人一部屋。二段ベッド。広くはないが、ニューヨークのど真ん中。よしとしなければならない。エアコンの調子を調べた。ちょっと音がうるさいが、就寝には影響はないだろう。シャワーを浴び、身支度を整え、再び近くの街の散策に出た。このColumbus Circleは真ん中が広場になっており石造りのベンチがあり、腰をかけている人、寝ている人もいる。近辺は人通りが激しい。交通信号を守って歩いているのは少数、ほとんどの通行人は信号を無視して赤でも歩いて渡って行く。観光客、買い物客、今頃犬の散歩をしている人、ビジネスマン、警官、様々な人、人。ビル群が林立している。青空、南には強い日差しの太陽。これが大体、夜の8時半ごろまで続く。日がかげると、今度は5th Avenueや7th Avenueの目抜き通りが遊興人でごったがえすらしい。あっちを見、こっちを見、これがニューヨークか!と感心しながら時間の経つのを忘れてしまった。夕方、6時。お腹がすいた。


Columbus Circleのすぐ近くにある地下一階にある Whole Foodsという大きなレストランに入った。ここだと、セルフサービスでいろいろな料理を選べるので便利。中華風の料理はない。日本料理はあるが、あっても海苔(のり)巻きぐらい。あとの料理は、とにかく現地の人用の味付けの料理。でも食べられなくはない。サラダ類、アジア風の野菜の炒め物、アジア風のチキンの煮込んだもの、シーフードのスープ、マフィン、パン、飲物などを食べた。きている人は、サラリーマン風のひとりもの、スーツに身をつつんだ会社重役タイプ、子供連れの家族、おばあさんどおし、食べるよりもしゃべるのに忙しい友達どうし、実に様々な人が食べている。ここで仮の食事を食べてから家に戻り、家族と一緒に本格的に食べるという風ではない。ここで食べている人々は皆、家で料理することはめったにないであろう人たち。これが夕食そのもので、この食事が終了したならあとは団欒の時間、そして就寝、一日お疲れさん!こんな感じと見受けた。つまり、実に「外食化」がすすんでいるのである。「外食化」がすすんでいるのは東京以上で、東京も、そう長いことなく、このように「外食化」が徹底するのだろうか? いろいろと考えてみた。

夕食後、明日に備えるため、早めにホテルへと向かった。シャワーを浴び、荷物を整理しそして就寝。明日はマンハッタンに向かうぞ!


7月28日(水)


WTC Memorialの  St. Paul Church Battery Parkから       これが自由の女神

中の展示物をみな   の外観     遠くに自由の        Statue of Liberty

がら                 女神が見える


Ellis島にある博物館

の一階にある写真


先ず朝食。ホテルの一回のレストランで軽い朝食をすませ、出発。マンハッタンとはどんなところ?

地下鉄C線に乗り込んだ。一路Downtown方向へ。降りるところは、Wall StreetやBattery Parkにも近いChambers Street。Chambers Street駅で下車、地上へ。ここはどこ? World Trade Center Buildings(あの9・11で崩れた貿易センタービル)の跡地に出た。跡地は青のシートで周囲を蚊かまれており、中は工事の真最中。近くに、このWTCBをしのぶMemorialの展示場があるとの標識があった。早速、そこへ行ってみた。崩壊寸前の写真が飾られ、亡くなった人の写真もあった。また、その亡くなった人の家族の映像もあり、立ち止まってみている人で黒山になっていた。そのMemorialをでて、Church Streetを下った。右手に、観光名所としても有名な聖パウロ教会St. Paul Churchの礼拝堂へ入った。9・11のときにはこの教会の礼拝堂といわずどの場所も、けが人でごった返した。礼拝堂の中では、案内係の人が、もうすぐ礼拝が始まるので座って待つように、としゃべっていた。もちろん英語。少し休んでここを出た。とにかく、このあたりはニューヨークでも名所のせいか、すごい人の波。今日は水曜日なのに。次に、Church Streetを渡り、世界の金融の中心Wall Streetに入った。この通りだけ、石畳の通りで、古くて豪華なビルが立ち並ぶ。各ビルの入り口には必ず体格の良いガードマンがいて、入ってくる人に目を光らせていた。誰かわからないが、多分、証券取引所の発展に貢献した人だと思うが、その銅像があり、その前で写真を撮った。

そこから海に向かって歩いて、もうそこはBattery Park。ここからフェリーボートが出ている。さあ、自由の女神 Stature of Libertyに行けるぞ!その前に昼食。近くの Deli Marketという名前の店に入り、ピザパイ、ケチャップスープなどを購入。それらをBattery Parkのイスとテーブルのあるところで食べた。ピザパイはなかなかの美味しさ。昼食後、フェリーの乗車券を購入するため列にならんだ。その乗車券は見学料込みで、また、Statue of Libertyの立っている島のとなりの島、エリス島 Ellis Islandの博物館も見学できるものを購入した。

フェリーに乗って、だんだんと陸を離れ島に近づいてゆく。自由の女神が段々と近づいてくる。すると、フェリーの乗客のどこからともなく沸き起こった歓声がだんだんと大きくなってきて、自由の女神の大きさがわかるところまで来ると歓声は頂点に達した。全身がブルー、青だが私達が普段見ている青ではなく、もっと緑に近い青だ。右手に持っているたいまつは金色。それらがよく青空に映えている。また、自由の女神に近づき、その台座がある芝生の緑(黄緑)とも実にマッチしていた。

残念ながら、Statue of Libertyの上まで、つまり冠(かんむり)まで登れる券は既に売り切れていた。

「Today’s crown-tour tickets are sold out.」のたて看板。

念のため、自由の女神の下にいる係官に、どうしても自由の女神には登れないのか、と訊いてみた。答えは、

「Reservation is needed.」(予約が要るね)

仕方なく、周りから見物することにした。

フェリーを降りて、その周りをぐるーっと一周。なかなか声が出ない。これが憧れの自由の女神 Statue of Libertyか。たいまつの金色が目立つ。

もっと自由の女神のところにいたかったが、時間がないので、次に、Ellis Island行きのフェリーに乗った。

約10分。フェリーを降り、石の階段を昇り、思い扉を開け博物館に入った。目の前に大きな写真。写真の中には一列に並んだ人々。ヨーロッパのどの国からの人々だろうか。皆、厚手の上着に身を包み、かばんを下におき、不安げな目をしている。移民検査を受けるため一列に並んで待っているのだろう。その姿と人々の視線は、あのアウシュビッツ強制収容所に並ぶユダヤ人のそれと同じだった。皆、新天地に来たうれしさ・喜びの表情は全くなく、これから待ち受けている生活に対する不安でいっぱいという表情だった。こんな風にして移民の歴史は始まったようだ。さて、生徒達は、このEllis Islandの博物館で何を見て、何を感じたろうか?

フェリーでBattery Parkへ戻り、地下鉄C線の駅Chambers Streetへ歩いた。 そして、地下鉄C線の電車に乗り、そして59th Street – Columbus Circleで下車。そして、昨日夕食をとった Whole Foodsに入った。夕食は、大体,昨日と同じメニューだが、もっとボリュームのある肉料理を追加した。生徒達は満足。


7月29日(木)

自然史博物館のアジア 自然史博物館で休憩  Amsterdam Street

の歴史の展示品、多分                    を散策

中国の展示物の前


この日は学習の日にしていた。目指すは、アメリカ自然史博物館 American Museum of Natural History。

地下鉄で迷うことも考えれれたので、ホテルから歩くことにした。Uptown下りへ約20分歩いた。入り口が見えてきた。あの映画、Night Museumでみたあの石の階段と石の柱。やはり、券を買うため列に並ばされた。確かに小学生・中学生が多かったが、それにも増してお年寄りが多かった。券を購入しそして中へ、一番最初は Asian People’s Monuments アジアの人々の遺産。Mammal animals 哺乳類の世界。そして、延々と続いてゆく。ユーラシア大陸は一つの大陸だから、一つの文化圏ということができる。その生活文化を、東の日本・韓国・中国から始まりだんだんと西へ、すなわちモンゴル、トルコ、ペルシャ、ロシアと展開してゆく。なかなか圧巻の展示だった。あるところ、多分ロシアの一部の展示物の前であったが、そこである生徒が、

「あれはまだキリスト教の影響はないが、でもこちらはキリスト教の影響がある。」

と言い当てた。みれば、キリスト教の十字架はまだないが、服装からそれとわかるアルメニア人の展示物だった。(あとで、アルメニア人の歴史を調べてみたら、東ヨーロッパの付近で、最初にキリスト教に改宗したのがこのアルメニア人であることが確認できた。)素晴らしい!!

とにかく、その多彩な展示物、そしてその施設の大きさ、とても一日で見ることはできなかった。


昼食を食べに、一度、博物館を出ようとした。ところが、雨である。にわか雨。駆け出そうかどうか、皆、迷っている。博物館の石の階段では、白人の男性がなにやら段ボール箱から取り出している。何と、折り畳み傘。売ろうという魂胆(こんたん)なのである。一つ8ドル。いまどき折り畳み傘は100円ショップで売っている。商魂たくましい人はここにもいた。小降りになったので、思い切って外へ出た。博物館の周りを芝生が囲んでいる。Thodore Roosebelt Memorial Parkセオドール・ルーズベルト記念公園である。この合衆国大統領は、英語 Night Museumにも度々登場してきた。小雨の中、博物館の外観の白色と公園の緑がきれいにマッチしていた。昼食は、歩いて10分の Deli Market。そこはイタリア風の料理、ピザパイやパスタがショウウィンドウの中に見える。その店で働いている人はインド系の人々。客は、白人。アジア系の客は私達だけ。これもニューヨーク!生徒達はピザパイと飲物を買って食べた。 現地に住んでいる一般的な人々がこの店には出入りしていた。赤ん坊を連れた主婦。大きな声で質問したり注文したりしている中年の男性。家族で来ている白人一家。とにかく見ていて飽きない。


小学低学年と思える少年が父親のために何か料理を買ってお釣りをもらった。そのお釣りを父親のところへいって渡そうとしたが、多分、その1ドル札が切れて欠けていたのだろう、父親は切れていない1ドル札をもらってくるように指示したようだ。だから、少年はレジのところへ戻ってきて何かしゃべった。少年は、てっきり新しい1ドル札をもらえるものとばかり思っていた。 ところが、レジのインド系の係りの男がその少年に渡したものは、同じ一ドルでも1ドル硬貨だった。少年は目を丸くして、びっくりしてそして父親のところへ戻ってきた。父親は事情を説明してあげたのだろう。少年はその事情をのみこんだのか、やっと落ち着いてピザパイを食べるようになった。こんなことを見ているだけで楽しい。


博物館への戻りの途中、Theodore Roosebelt Parkへ寄った。生徒達は公園の中のリスに興味を持ったようだ。リスに手で触れたようだ。それでも逃げないのである。再度、博物館に戻った。4階、5階に登り、恐竜や哺乳類の化石を中心に見学。日本の上野にある博物館との展示物とは比較にならない。その展示物の数の多さ、その大きさ!さすがアメリカ!映画Night Museumで有名になった、「ガムガム」こと「モアイ像」の前で記念撮影。パチリ。

このほかにも、自然や歴史に関する展示物が数限りなくあり、また各階では、私達は時間がないので参加できなかったが、特別の催し物もあった(例えば、南極点への到着を争った「アムンゼンとスコット」との特集展示、隣がセントラルパークなので、そこに住む「こうもりの生態の観測と学習」、などなど)。どれも参加してみたい催し物だったが、参加するだけで一日が費やされてしまう。そんなわけで、閉館時間の午後6時まで見学した。

その後、ホテルまでの帰り道、Amsterdam StreetやColumbus Street の道を散策、絵葉書などを購入した。

食事は、例のColumbus CircleにあるWhole Foodsで取った。Sea Food chowder, ハムとベーコンのサンドイッチ、マフイン、Fried Rice,飲物など。客は多種多様。でも白人が主な客。東洋人とはめったに会わない。食後、このビルの上に行ってみた。大きな本屋あり。生徒達は好きな本を物色していたが、結局見るだけ。そして、ホテルへ帰宅。


7月30日(金)

コロンビア大学、ロウ図書館       ロウ図書館の会議室 American Folk Museum

へと続く石段で                天井が高~い!  の作品の前で


今日の予定は、先ず、あの有名なコロンビア大学Columbia Universityへ。地下鉄C線、116th Street, Columbia Universityで下車。どの出口かよくわからない。歩いている女性に尋ねた。多分、Columbia Universityの学生。通りまで案内してくれた。早速、太い石の柱で有名はロウ図書館Law Libraryに向かった。石の階段を昇り、重い扉を開けると、そこはひんやりとして静かな本のかび臭いにおいのする大きな部屋。それを突き抜けると、会議室。正面に話をする机とマイクが備えつけてあり。秀治君は話をするまねをした。壁に飾ってあるのは、代々の学長の写真。法律の学者達と想像した。日本語の図書がある部屋があると聞いていたので、受付に聞いてみた。しかし、夏休みの期間は閉鎖しているとのこと。 残念。

次に、マンハッタン子ども博物館Manhattan Children’s Museumに行くため地下鉄に乗った。Downtownに向かいたかったので、このコロンビア大学のある116th Street駅はどちらに向かうのか道を行く男性に訊いてみた。「DowntownにもUptownにも行ける」とのこと。切符を買い、改札を抜けた。するとなんと、Downtown方向に向かうプラットホームに行く通路に黄色いテープが張られている。これは、通行禁止の意味。これにはあわててしまった。でも、困っているのは私達だけではなかった。「しかたない、これは現地の人に従うしかない。」すると皆、改札を出るのではなく、Uptown方向のプラットホームに向かっている。私達も、その人々の後を付いていった。Uptown方向に行く電車がきた。皆それに乗った。私達も乗った。でもUptown方面。するとふたつ目の駅、137th Streetで皆が降りた。そして出口へ向かってゆく。後を付いていった。表に出た。交通信号のある交差点を渡った。そこに、黒人の地下鉄の職員がいて、皆に橙色の券をわたしている。はっはー、多分整理券だな。その137th Street駅のDowntown方面の改札口へ出た。そこでオレンジ色の整理券を渡し、そして無事、Downtown方面の電車に乗ることが出来た。こんなことはよくあるようだ。やはり、「郷に入らば郷に従え」、のことわざの通り。

86th Street駅で降り、マンハッタン子ども博物館に着いた。列を作っているのはどう見ても、小学生または幼稚園生。係りの人に訊いてみたところ、低学年用なので、中学生向きではない、とのことだった。だから、仕方なく、入場を断念。昼食を取ることにした。あまりおなかは空いていない。軽い食事をするだけだったので、マクドナルドに入った。大盛況。やはり子供連れが多い。各自、飲物・食べ物を注文。

昼食の後、Amsterdam Street, Broadway Street, Columbus Streetを散策。ちょっと子供達の目を引くような店に入ると、ほとんど従業員はカリビアン系かインド系の人。レストランも含めて小売の店の従業員はだいたいがこのカリビアン系かインド系の人々。

ホテル近くまで来た。あるビルの一階がアメリカ民芸館American Folk Museum。はいってみた。ニューヨーク出身の画家が描いた昔のニューヨークがあった。また、キルト(縦横10センチぐらいの布を縫ったり編んだりしたものをつないである民芸品)や他の民芸品もあり、在りし日のアメリカを思い出させる展示だった。

でも、今の都市化したニューヨークとは似つかない。この日も暑かったので、ここでしばし涼をとった具合。



ここからが生徒達の真骨頂。これから、もっと散策したいとのこと。セントラルパークを左に見て5th Avenue, 6th Avenue, 7th Avenueの繁華街を行きたいとのこと。かなり歩くが、生徒達の要望に従った。

近づけば近づくほど、人は多くなり、街はにぎやかになった。Timi Life社前、この場所は、あの戦争終了のときの人だかりの写真が有名だが、その写真はここで撮られた。40,50階建てのビルが林立し、とにかく、レストラン、みやげ物屋、デイスカウントショップ、デパートなどなどが目白押し。セントラルパークの方から、車のクラクションを鳴らす音がしてきた。だんだん近づいて来る。見ると、いかにもアメリカらしいクラシックカーが10台くらい続いている。かなりの幅のある車で、オープンカースタイル、色は薄い緑、派手な赤、青、黄色、クラクションを鳴らし、車をジャンプさせ、若者が奇声を発して、音楽をがんがんならし、運転している。暴走族? 多分、そのたぐいなのだろう。警察は黙ってみている。ニュ-ヨークの若者たちはこんなことをして憂さを晴らしている。日本の暴走族と同じ?

生徒達はここで土産を買ったようだ。遅くならないうちに、そこをあとにした。道すがら、あのリムジンがとにかく何台も走っているのを見た。 黒塗りで、長――い車。日本では走っていない。この近辺には、Sheraton HotelやHilton Hotelなどの世界的なホテルがあって、そこに有名人や資産家が、多分、ショーを見るためにリムジンに乗ってくる。黒人の運転手は「きっ」と、まじめな顔をして待ってた。主人と使用人との生活の差、そんなものを感じた。



7月31日(土)ロゴ_クリック

通りのいたるところにある  ニューヨークの公立の学校、

物売りの売店          ビルの一角が校舎


ニューヨークを経つ日。支度をして、地下鉄駅に向かう。John F Kennedy空港と地下鉄が直結している駅 Howard Beach駅まで間違いなく行かなければならない。59th Street – Columbus Circle駅で乗りC線に乗った。ところが、地下鉄の路線図でみたら、C戦とは違ってF線の駅を通過している。そこで、C線とF線との接続―乗換駅でいったん降りた。女性の地下鉄職員へ訊いたところ、この電車は途中までしか行かない。次の次の次の地下鉄に乗らなければならない、とのことだった。その地下鉄の職員は、私達のいでたち(荷物を背中に背負い、両手にもかばんを下げている旅行者然としたいでたち)をみて、また東洋人ということも考えて、Howard Beach駅まで電車に乗って行く人を探してくれて、その人に続いて電車に乗るように指示してくれた。これで安心。Howard Beach駅で下車、Air Trainに乗り換えて空港へ。その空港でチェックイン手続き。スムースに運んだ。飛行機に搭乗するゲートへと向かった。これで少し余裕が出来た。ところが、ところがである。ゲートまで来たところ。「遅れ」の表示。見ると、私達の乗る便の乗客がデルタ航空のカウンターの前で列を作っている。何のための列?訊いたところ、飛行機が遅れているので、食事券が発行されており、その食事券をもらうための列、とのことだった。向かいのカウンターでも食事券を発行しているのでその列に並び食事券をゲット。6ドルまで食べることができる券だった。その券を持って、各自好きなものを注文。腹を満たした。ところが、ゲートに戻ってみると、今度は搭乗ゲートの変更の表示。早速、皆に伝え、移動開始。やっと搭乗ゲートに到着。すると今度は、更に一時間の遅れとの表示。どうなっているの?場内アナウンスあり。

「ヤマウチヒデハルサマ,アベホヅミサマ」

何のことやら、カウンターに質問にいった。すると、帰ってきた返答。

「さらに出発が遅れたので、その求償として、100ドルのクーポンがもらえる」とのこと。

このクーポンで、次回予約するとき100ドル割引となるとのことだった。

「んーーー、これもアメリカ?」

このあと、やっと私達の搭乗した飛行機はニューヨークを飛び立ち、そして14時間の後、成田空港へ到着した。 短くも長くも感じられた11日間の旅だった。お疲れ様。