体験談――音楽の評価は人生の評価と関連

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音楽野違い ー 音楽の評価は人生の評価と一緒。

根本的な違いを感じた。私の留学している Minnesota 州にある高校。毎週土曜の午後になると、音楽演奏の発表会があった。こちらに留学で来て初めての発表会だったので、私は期待をして観客席に着席した。 50人収容するミニコンサートホール。 チェロの演奏、男子生徒、11年生。 曲はチャイコフスキーの練習曲。 聴き始めてすぐに音程を外し、リズムも乱れる。 それはひどい演奏だった。 本人も気づいていた。 なぜなら調子がずれたり、リズムが悪くなったりすると、見た目にもわかるように、照れたり、首をひねったりしていたからだ。 しかし、その演奏のあと、私はびっくりした。


演奏のあと、私はびっくり!

普通、日本人の場合、これだけ間違ったり、音程をはずしたりすれば、速く終わらせて、拍手ももらわずにその場から速く消えてしまいたいと思うはず。 ところが、この生徒は違っていた。 いや、この生徒も皆と同じだったのだ。 この場合の皆とは、アメリカ人の生徒全般のこと。 演奏が下手で、間違いを繰り返し繰り返ししていた。 そして、演奏が終わったとき、それまで首を傾(かし)げたりしていた表情は消え、満面の笑みを顔に浮かべ、そして、拍手を要求したのだ。 拍手を要求できる演奏ではなかったのに。 その後、私は何度もこのコンサートホールに足を運んだ。 しかし、ひとりとしてうまい生徒がいなかった。 ところが、下手な演奏なのに、演奏が終了したとたん、皆、満面の笑みを浮かべ、そして拍手を要求するのだ。 「どうだ、おれのベートーベンの解釈は! 良かったろう」こんな言葉が浮かぶ。 I’ve finished my performance successfully.  Why don’t you applaud and praise me?


私の解釈

これは、日本人の私たちとは違う考え方、生き方をしているから、と思う。  どんなに下手でも、現地のアメリカ人の演奏者はこのように考える。 「自分は精一杯、演奏した。 自分の理解の仕方で。 その譜面と曲想を解釈し演奏したのだ。 どうだ、その結果がこうだ。 さあ、拍手してくれ。」

この考えには、私たち日本人は馴染めない。 一方で、さすがここは「個人主義」の国、と感心もした。


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