留学―体験談―村上薫

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村上 薫君


アメリカ合衆国コロラド州の高校に留学。

「日本の高校へはもう行かない」と決心。

コロラド州の自然にびっくり。 2年で卒業できた。


真剣な眼差しDenverの街並み-Oil city


日本の高校へは行かない! では、どこへ?

私の場合、最初から前途多難な留学だった。「日本の高校へはもう行かない。」 その頃の私はわがままだった。 父は高校の教師をしていたので、世間はなにかと「息子さんは優秀でしょうね」という目で私を見ていた。 それが嫌だった。 私は普通の活動をしているつもりなのだが、「自由に振る舞い過ぎる」とのことで、高校からしばしば注意を受けた。 そのたびに、父と母が高校へ呼び出されていた。 でも、私は、今でも、自由に振る舞い過ぎたとは思っていない。


グランドから眺めた校舎授業風景-理科



コロラド州の高校から許可証が

そんなわけで心機一転、アメリカコロラド州のCアカデミーへ入学を申し込んだ。 留学カウンセラーの方から、許可証については、「この成績だから五分五分じゃない」と言われていた。 英語と数学はまあまあ。国語も何とか合格。音楽は、将来を託したいと考えていたので一番良かった。 しかし、日本史、生物、体育、家庭科、美術、・・・ これらが良くない。テストは、何とか友達からきいたりしてなんとかなったが、授業で担任の先生に反発したり、提出物を出さなかったり、結果は悲惨だった。 コロラド州のCアカデミーから、それでも何とか許可証を得ることが出来た。 ヴィザ申請も通って、晴れてCアカデミーの生徒となることが出来た。


(注意)アカデミー Academyは、専門学校や予備校を指すのではなく、私立のクリスチャン系高校を指す。


食事は楽し蛇ー全長2M



高校の環境に驚いた! 勉強には最適?

デンバー Denverの空港に着き、そこから車で約一時間のところにCアカデミーとこれから寝食を共にする寮はあった。 とにかく、生活は、東京の都会生活とはまるで正反対。 自然環境がすごい。ロッキー山脈のふもと、ちょっと奥へ入ると「蛇」「コヨーテ」が出るし、又、「クマ」もでるとのこと。 又、天候もすごい。 春になると、一日の中で、晴れ、豪雨、雪、霰(あられ)、そしてまた晴れ、一時間ごとに猫の目の様に替わる大陸性気候。 傘は、風が強いので持っていても使えない。 冬は、ちょっとスクールバスで出かけるともうスキーのゲレンデ、おかげで、スキーができるようになった。


寮―部屋の中ーいつもこんなにきれい?友と語らう



優等生ではなかった - 警告 Warning もあった。 でも、卒業。

とにかく、毎日が忙しかった。 無駄なことをかんがえる暇がないので、勉学には理想的だった。 毎日が忙しかったからだ。 ぼーっとしている時間が全くないのだ。 これは経験したことがなかった。 成績はというと、破天荒な気候と同じで、English 11で“A”を取ったかと思うと、保健 Healthは再履修。 そして、こんなこともあった。 門限までに戻らないことがあって、日本の親の元に知らせられたのだ。 実は、これには理由があって、ホームリーブHome Leave の帰宅がしばしば遅れたせいなのだ。 ホームリーブというのは1カ月半に一回、週末を利用して生徒達が自分の家に戻ること。 ところが、私の場合、そのたびに日本に戻ることが出来なかったので、その時、友人や知り合いのところに滞在、すなわち Homestayすることになったのだ。 そして、決められた日にちと時間までに寮に戻らなければならないのが規則。 ホームリーブからの帰り、高校から車で20分ぐらいのところにshopping mallがあったので、ときどきそこで降ろしてもらい、そこで、買い物をしたからだ。 shopping mall から高校の寮までは速足で歩いても1時間半はかかった。 それで、遅れてしまったことがしばしばあったからだ。 それで、警告 Warningとなったわけ。 でもなんとか、予定通り、2年で卒業できた。 これには、友人達や先生方に感謝している。



学校長ですkey boardの操作速く

卒業後はボールダー Boulderにあるコミュニテイカレッジに先ず入学し、そしてその後、コロラド州立大学に編入することができた。 とにかく大学に行っていた2年間は、高校と違って、Work, Work, Workの毎日だった。 高校時代の3倍は勉強したように思う。

今、好きな音楽のビジネスで、英語を活かした仕事をするのを目標に励んでいる。


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